親子関係の構築

 親子って、家族ってなんだろう。

 私の場合、特に父親との関係性はほかの誰とも異なる不思議なものだと思う。だって、20年一緒に過ごしてきても未だに彼に話しかけることが苦手だし、二人きりで一緒の空間にいたら緊張しすぎて疲れるもの。

 

 18年間一緒に暮らしてきたけど、父親と二人で笑い合って話した記憶なんてない。一応私も幼い頃は父に日々の出来事や考えていることを伝えたくて話しかけたことが何度もあったけど、その度に無視されるか話の途中で遮られるかのどちらかだった。伝えたいのに伝わらないもどかしさや悲しみ、怒り…そんな感情でぐしゃぐしゃだった。幼い私はその感情にどうアプローチしたらいいのかわからなくて、感情が涙となり心に痕を残した。そのうち、聞いてくれないなら話さなければいいという結論に至って、もう父との距離は埋まらないし埋めようとも思わなくなった。ある程度離れていることが私の心の安定に繋がったし、これがベターな選択だと思った。家族だからといって必ずしも距離を縮める必要はないし、むしろ一定の距離を保つことで良好な関係を築けることだってあるよ。

 それなのに、離れて暮らしてみると父は「なぜもっと家族の会話を大事にしないのか」「家族の時間は限られているんだから大切にしなさい」などなど言うようになった。正直、戸惑った。どうして今更?と。もちろん、小さい時はどうして父はこうなんだと思っていたけど、今となってはそういう人なんだと受け止めている。だから今の関係性を壊そうとしないでほしい。今までそれでやってきたじゃない。それに、そう言うわりには父は自分からは話してこないでひたすら私から話しかけるように求めるのだ。どうして私ばかりに求めるの?

私と母の関係は比較的良好だし、それを見る父がそういう関係に多少なりとも憧れを抱いていることはわかっているつもりだ。だけど母との関係性だって一朝一夕に築いてきたものじゃない。時には衝突だってした。だけど母はなるべく私とフラットな関係でいてくれたから、私が謝ることもあれば母が謝ることだってあった。父との関係は常に上下だった。だから今更その関係を変えることはお互いに不可能だと思うし、無論、母との関係と同様のものを築くことは絶対に無理。

そうはいっても私はできることなら良好な関係を築きたいのだ。だから物理的にも精神的にも一定の距離感を保ちたいし、たまに会うくらいがちょうどいい。父はこういう関係を「ドライな関係で嫌だ」と感じているみたいだけど、家族のあり方なんて10人いれば10通りの在り方があるんだからいいんじゃないかなと思う。

そもそもこれは家族に限った話ではなく、良好な関係=ベタベタした関係ではないはず。たしかに、ある人とはとても距離が近いかもしれないけど、一定の距離を保っているからこそ成り立つ関係もある。

 

 

 それと、よく父が言う「家族だから」という言葉。これは本当に嫌だなと感じる台詞の一つ。「家族だから〜しなさい」「家族といえど〜するな」という相反するような事柄が「家族」というフィルターを通すことで当たり前のようにまかり通っている。「家族」という言葉を入れることでそこにはある種の強制力が働き、それに抗おうとした途端自分は異端者扱いをされてしまう。家族、家族、家族。家族だからなんだって言うんだ。そこにあるのは私とあなたという一対一の関係、つまり私と私以外の人間(他人)の関係だけだ。「家族」という言葉を使うことによって、そこにいる他人が他人でなくなるような錯覚を与えられる。

 

率直に言ってしまうと、家族って、親子って面倒だなと感じざるを得ないよ。家族だから、親子だからってなんでも通じ合えると思うの?そんなわけないじゃん!私たちは他人同士。その前提を踏まえていない「家族だから」は甘えでしかないよ。

相手が誰であっても、伝えなければ伝わらないよ。

溢れ出た思い〜「怒り」を観て

映画についてブログに書くのは初めて

だけど頭で考えるより先に手が動いてしまった

 

今日書くのは「怒り」という映画について

話題になっていたこともあって前々から気にはなっていたんだけど、映画館には間に合わず、昨日やっとDVDで観れたのです

映画の内容にも俳優陣の演技にも圧倒されて、しばし放心状態だった

 

この映画の軸には八王子の夫婦殺害事件があって、たしかに物語が進むにつれて犯人が絞られてはいくんだけど、一番大きなテーマは「愛すること」と「信じること」だったような気がする

愛する人だからこそ常に信じていたい、だけど何かの拍子にほんの少しだけ不信感を抱いてしまうと、いつの間にかその不信感は巨大化して結果的に信じることができなくなってしまう

それは信じてもらえなくなった側だけでなく、信じることができなくなった側にも大きな痛みを伴う

この人はそんなこと絶対しない、そう思っていたのに、自分に告げてきたこと全てが嘘なんじゃないかと疑い始めてしまう

その苦しみは壮絶なものなはず

あるいは全く逆に、この人は同志だと思って信頼しきっていた人に突然裏切られる

この人は自分と同じ苦しみを経ていて今後はともになにか道を見つけよう、そう思っていた人が実は一歩外から嘲り笑っていたと知る

こういう裏切りには、自分の全てをひっくり返してしまうほどの悲しみや怒りや憎悪を感じるだろう

「信じること」、「愛し続けること」の難しさをひしひしと感じる作品だった

わたしは愛する人を信じ続けることができるんだろうか

「怒り」予告

つい笑顔になってしまう場所【ニュージーランド・クイーンズタウン】

テカポの美しさに後ろ髪を引かれながらも、クイーンズタウンへバスで向かった。

テカポからクイーンズタウンまでの道のりには、またもや美しい光景が広がっていて少しも飽きることなくクイーンズタウンに着いてしまった。

クイーンズタウンへ一歩降り立った瞬間に思ったの。

あぁ、ここすごく好きだなぁ。

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南島に移動する前に、オークランドでのステイ先の方に「クイーンズタウンは小さくてテーマパークみたいなところだよ」と言われていて、5泊もする予定だった私は飽きてしまうんじゃないかとほんの少しの不安を抱えていた。

だけど、着いてそんな不安も吹き飛んだ。

たしかに街自体はとても小さいしせいぜい二日もあれば回れてしまう。

でも私にはこの小ささがすごく心地よかった。

小さいながらも街は活気で溢れていたし、もう少し滞在期間を延ばしてもよかったくらい。

湖の周りには犬と一緒に弾き語りをするおっちゃんや操り人形を動かすお姉さん、移動式の木製ピアノをひくヒッピー系のおじさん、エトセトラ。

こんなちょっとした芸を持った人が毎日必ずいた。

だから街を歩いているだけでつい頬が上がってしまっていた。

もう想像するだけで楽しいでしょ?

もちろんクイーンズタウンの自然も美しかった。

ホテルの目の前にはワカティプ湖があって、その右には街並みが、正面には山々が連なっていた。湖を前に寝転んで、目を閉じると人々の話し声や鳥の鳴き声、水のせせらぐ音が聞こえてくる。

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着いて二日目、ゴンドラに乗って上の方までいってみた。

たまたま一緒に乗り合わせたお兄さん二人に色々話しかけられたのだけど、にこやかな顔とは裏腹にやたらF wordを連発していてなんだかちょっと怖かった。

おまけに予想外に揺れるし止まるし…

そんなちょっと嫌な気分になりながらも到着して、さっそく展望台に向かった。

眼下にはクイーンズタウンの街と湖、そして山が180度に広がっていた。

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ここではリュージュという乗り物にも乗れるんだけど、これがもう最高に楽しそうだった。(さすがに一人で乗る気にはならなかったけどね)

咄嗟に撮った写真だから見にくいけれど。

ゴーカートの簡易版のようなものかな。

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このあとはいくつかあったトレッキングコースに向かった。

あまり歩いている人がいなかったから、目の前の絶景、鳥の歌声、気持ちのいい風、そのすべてを独り占めできた気分になっていた。

途中ちょっと横に目を移すとヤギ同士が喧嘩していたり(巻き込まれないかハラハラ)自分の目の前に綺麗な鳥が止まったり…なんともレアな経験。

たまにすれ違う人とはちょっと挨拶したり。そういうちょっとした出来事が嬉しい。f:id:theworldofsilence:20170328114026j:plain

最後までいきたかったけれど、ジーンズでは歩きにくくて断念。(ジーンズ履いてしまったことを本当に後悔)

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クイーンズタウンではとにかくゆっくりまったりしていた。

1日だけミルフォードサウンドには行ったけど(次の記事に書きます)基本的にはカフェでゆっくりブランチをしたら広場か湖の前で本を読んだり、ただただぼーっとしたりしていた。

でもこれが本当に良かった。

ちょっと前までは時間に追われがちだったし、四月からは学校も始まって忙しくなるから、なにもしない「暇」な時間をつくることは今のわたしにはなくてはならないことだったんだ。

動いていることは好きだけど、ときには内省する静かな時間も絶対に必要。

その時間がクイーンズタウンで得られた気がする。

 

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ここへはまたいつか絶対に戻ってきたい。

何年後、何十年後かわからないけれど、近いうちにきっとね。

二十歳の誓い

日本へ帰国する日、空港で自分に誓った。

 

...

今日は日本に帰国する日。

3月下旬、もう暖かくなって来ているだろうか。

一年前の今頃、休学することを決めた。

あのときの決意は固く、必ず達成しよう、いや達成できる、そう思ってた。

でも結局自分の弱さを強く認識した一年でもあった。

やってやるぞ!というプラスの思いから、やらなくちゃというマイナスの気持ちに移り変わっていって、やらなきゃいけないのにできない自分がいつもいつも影からこっそり顔を出していた。

気付いた時には、自分でいつの間にか寄せ集めていたプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。もっとマイペースに進めばよかったのに、無意識に悪い方へ自分から向かっていってた。

でもその循環から抜け出せたあの後も、黒い自分はいつも私の背中にぴったりとくっついていた。

振り払わなきゃいけなかったのに、できなかった。

単純にいざという時に弱いという元々の気性はあるけれど、それよりもあの黒い自分を振り払えなかったから上手くいかなかったんだろうな。

 

でも、もう過去の弱い自分をいくら責めても世界は1ミリも変わらない。

"変えられないものを受け入れる心の静けさ"を私は手にしなくてはいけない。

大きく自分で切りつけたあの傷はそう簡単に治らないけれど、黙って治ることを祈ろう。

その間にまだ変えられること、如何様にもできることを少しずつ、兀々とやっていこう。

 

一年経ったんだ。

私はあの時よりも成長できただろうか。

いや、きっとできたはず。

形としては残らなくても、自分の中の見えない何かとして成長できていればそれでいい。

強く、逞しく、生きていかなければ。

まだ私の人生始まったばかりだ。

生きるってことは沢山の傷を背負い、どうすることもできないことの前でただひれ伏し、それでもなお未来に願いを持つことの繰り返しなのかもしれない。

20歳の若造が何をいうのかと思うかもしれないが、これが私が生きてきた20年間で感じたもの。

人生は綺麗なものなんかじゃない。たくさんつまずいて、泣きたくなって、泥まみれになる、そんな綺麗とはちょうど対極にあるものなのかもしれない。

そんなものなら、私は精一杯泥臭く生きてやる。綺麗に繕うことなんかしない。

他人にどう思われてもいい。たくさん傷を負ってもいい。

でもいつも願いを忘れない。その唯一透明な部分を死守できればいいんだ。

 

まだ始まったばかり。まだ序章に入ったばかりだよ。

 

...

憧れの...ついに!!【ニュージーランド・テカポ】

ついに、ついに、行ってしまいましたよ!!

そう、テカポへ…!

いつか空一面に広がるたくさんの星を見てみたい、そう思っていたんだ。

ニュージーランドへ行くことが決まってから、テカポの星空だけは外せないって思ってたの。

(ちなみにオークランドを発ってから二泊クライストチャーチに泊まっているんだけど、街のほとんどが工事中で柄にもなく一人寂しい思いをしていたので割愛します)

もう本当に楽しみにしていたんだけど、朝クライストチャーチからバスに乗り込んでからというものの曇ってるかと思いきやいきなり雨が降り出したり…

え、待って、これ星空見れるの!?

私の心も土砂降り。

そんな暗い気持ちでバスに乗っていたんだけど、テカポに着いた瞬間、

あれ、晴れてる!!

そう、着くギリギリまで天気は最悪だったのに、着いた瞬間天気が回復したのです。

もう顔がついつい緩んでしまったよ。

それからの天気は曇ることもなく快晴。

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ホステルに荷物を置いてから、湖の周辺を散策。

天気が良かったから湖も本当に綺麗で、ずっと見ていても飽きなかった。

 本当に美しい湖。

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南島に来たからには思う存分自然を楽しみたかった。

新鮮な空気を吸いたかった。

テカポには一泊しかしない予定だったから、ほぼ一日中外で過ごしていた。

大きめの岩の上に乗って、湖を前にしながらの読書。

なんて贅沢な時間なんだろう。

こっちは日が沈む時間が遅いから長いこと外に出てられる。

 

8時半頃からいよいよ星空ツアー。

マウントジョン天文台には昼は個人でもいけるけれど、夜はツアーに申し込まないと行けないからEarth&Skyのツアーに申し込んでいざ出発!

ここでは星の観測をしているらしく、フラッシュや白い光は厳禁。

そのため、バスの中の光も赤、手渡されたライトも赤だった。

(ちなみにその赤いライトはプレゼントされました…今後の使い道がわからない)

バスでしばらく上の方まで登って到着。

バスの中でも星は見えていたけれど、一歩外に出てびっくり。

ヴァーーーっと星星星星!!!

あぁ、ついに見れた…

(左が天の川、右上にぼんやりと写っているのが大マゼラン雲、右下が小マゼラン雲)

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ツアーではまず、南半球でしか見ることのできない南十字星や十二星座の説明から始まり、特殊な巨大天体望遠鏡で星団や木星を観察。

この日は運良く風もない上に晴れていたため、木星の模様や木星の月も三つはっきりと見えた。

ツアーガイドさんはどうも宇宙ラブらしく、宇宙の神秘について熱く語っておりました。

「すべての事柄は突き詰めていけばすべて宇宙にたどり着くんだ!」

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途中から暗さに目がだいぶ慣れて、ますます多くの星が辺り一面に現れた。

とにかく星の量が尋常じゃなかったためか、頭がくらくらしてしまった。

 

テカポの町では、この星空を守るために町全体の街灯の色もオレンジ色且つ広がらないように傘で囲っているらしい。

ほかの場所でも東京よりは断然星は見えるけれど、テカポは桁違いに見えると思う。

 

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天気がなんとか回復してくれて本当によかった。

これが見れただけでもわざわざ来た甲斐があった。

 

星空にご興味のある方、ぜひ。