8月12日

今日は祖母の命日。

3年前の今朝、突然兄からLINEが来た。

「おばあちゃんが亡くなった。帰ってきな。」


まだ寝ぼけていたから夢かと本気で思った。

前回帰省したときはピンピンしてたじゃない。

たしかに祖母は病気を抱えていて、突然病状が悪くなる可能性は十分にあったけれど、本当にこんなに突然だとは思わなかった。

たまたま帰省していた兄と母の三人で前日には蕎麦屋へも行っていた。

何が何だか分からずに実家に戻った。

暑い夏の日だった。帰り道に何を考えていたのかは、もう今となっては分からないけれど、嘘であってほしいと切に願っていたことは覚えている。


祖母はとかく私に甘かった。それは一般的に祖父母の特権なのかもしれない。祖母に怒られた記憶はない。私のやりたいことをできるだけの準備をいつもしてくれていた。くだらない話にもにこにこして付き合ってくれた。

祖母はかなりの心配性でもあった。とても鮮明に覚えているのは、塾の帰りに母が迎えに来れなくて、歩いて帰っていたら、家の前で祖母がパジャマで待っていたのだ。私の地元は、夜になると車も人もほぼ姿を見せないので不審者に攫われないかと心配してくれていたのだろう。我ながら、とても大切にされていたなと思う。

祖母は勉強家でもあった。毎日新聞に目を通していたからか、時事問題にも疎くなかった。高校半ばあたりから、私が意欲的に学ぶようになったから、夕方に祖母と居間でよくニュースについて話したり、最近授業で扱った文学作品について話したりしていた。


思い返せばたくさんの思い出がスルスルと蘇ってくる。でも祖母と過ごした時間はたったの18年間だけなのだ。今は鮮明に覚えていることも、歳を重ねるにつれて薄れていってしまうのではないかと、最近少し恐ろしく、悲しく思う。

どうして私たちは忘れたくないことまで忘れなければならないのだろう。


中学に上がる前の春休みに愛犬が亡くなった。とても悲しかったけれど、生きるのも辛かっただろうなと思うような最期だったから、ただただ彼の生涯が幸せなものであったようにと願うだけだった。

だけど、苦楽を共にしてきた愛犬だったからこそ、悲しみはどんどん増していった。彼を触ったときの感触、彼の声、元気だった頃の姿、どの瞬間も絶対に忘れまいと誓った。

それなのに、私の忘却システムは自分じゃ止められない。あれから10年(!)、今じゃ彼の元気だった頃の姿を断片的にしか思い出せない。なんて、なんて悲しいことだろう。


私は祖母との記憶が、愛犬との記憶のように消えていってしまうのが怖い。

消えた記憶は意識的には戻せない。何かの拍子に一部だけなら思い出せるかもしれない。だけど、消えてしまうことを止めることはできない。


私はまだ「記憶」に対する姿勢が決めきれない。

忘れたいこともあれば、絶対に忘れたくないこともある。どうやってその事実を受け止めればいいの?


今年はきっと来年よりも祖母との思い出をまだ覚えている。

祖母との記憶を握りしめて、また少しずつ歩み始める。握りしめた拳の隙間から、思い出が消えてしまわないように。強く強く握りしめる。