2021/6/3

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あっという間に6月になった。大学院に入学してまもなく2ヶ月というところだ。
2ヶ月も経ってしまったことにも早いなと感じるけれども、それよりも2021年がもう折り返し地点だということに驚愕している。2020年は社会的にも個人的にもしんどいことが多くて、1年間で8キロくらいは痩せた。2021年はもっと健やかに生きようと思っていたのだけど、それももう半分過ぎつつあって、はたして私はちゃんと健やかに生きてこれただろうかと昨日考えていた。

 

月曜日、大学から帰ろうと駐輪所へ向かっていたところ、工事用の黒いマットに躓いて、見事にズッコけた。こんな転び方をしたのは本当に久しぶり。私のことを10代後半あるいは20代に入ってから知った人はおそらく知らないと思うけど、私は幼い頃から本当によく転ぶ。おかげで今でも膝にはかつての傷の面影が残っていて、正直あまり綺麗ではない。心配されるレベルで見事なこけ方をよくしていた。体のバランス感覚がよくないのかなと思っていたけど、それも年齢を重ねるにつれてだいぶ少なくなってきていた。ちょっとした躓きは今でもよくするけれど、「ズッテーン」っていう効果音がつけられそうな転び方はあまりしなくなっていた。ところがどっこい、月曜日に見事にズッコケてしまったわけだ。

 

久しぶりに転んでしまったこと、人前で転んでしまったこと、おろしたての洋服で転んでしまったこと、ジンジンと手と膝が痛むこと、すべてが悲しくて恥ずかしくてその場から消えたかった。幸い、おろしたてのジーンズが比較的厚めの生地だったこともあって、膝はほんの少しのかすり傷だけで済んだ。(でも翌日、やっぱり痛いなと思って見てみたら大きなアザができていた)ただ左手の平は少し深く傷ができてしまって、血がタラタラと流れていた。今はだいぶ痛みが引いてきたけれど、擦り傷だけでなく打撲もしていたみたいで、今も少し腫れているし、とにかく日常のちょっとした動作で痛みを感じるから、生活への気力がガタ落ち。利き手じゃなかったことは不幸中の幸いだけど、左手を負傷して初めて意外とこっちの手も日常的に使っていたんだなと気づく。不自由になってから自由について実感するんだなと改めて思った。

 

それにしても軽度の打撲と擦り傷だけでもこれだけ生活しにくいのだから、一人暮らしでもっと大怪我(骨折とか?)したり、それこそコロナにでも罹患したら本当に大変だと、少しゾッとした。自分で自分の生活を回せるということは決して当たり前の能力でも、誰にでもできることでもないのだな。自分の心身の健康と、金銭的な余裕と、それができる環境が揃って初めて自活できるのかもしれない。それは「自己責任」でもなく、また「自助努力」が足りないからでもなく、さまざまな要素が絡み合い、そのなかでたまたまその条件が組み合わさったときにだけ可能になる行為なのではないかな。

 

もちろん今の私は普段から完全な自活をしているとは言えない。学生という身分ゆえに親からの金銭的な援助を受けている。けれども自分の住環境を整え、自分の健康を管理するという意味では最低限の自活をしていると言えるだろう。でもそれもほんの少し条件が狂ったらできなくなることばかりだ。

 

少なくとも当面の間、私は誰かと生活を分け合うこともしなさそうだし、さまざまな出会いがあったとしても結婚制度には手を出さないと決めている。ある程度経済的社会的な安定があったとしても、新しい人間を自分の体から生み出すこともしたくない。となると、自分にほんの少しでも不具合が出た時に頼れる人を決めておくことは文字通りの死活問題だ。

 

残念ながら、西に引っ越してから、ちゃんと話せる知人友人が一人もできていない。
毎日自分の非社会的性格を恨んで過ごしているのだけど、ちょっとでも頼れる人がいないというのは、寂しい云々よりも、生存面での不安が大きい。こんなときに思い出すのは、キム・ハナさんとファン・ソヌさんの『女ふたり、暮らしています。』だ。
女ともだち2人で暮らすということへの憧れもあるけど、彼女たちを取り巻く愉快で信頼できる仲間達がなんとも魅力的。こんなふうに私も頼り頼られる存在がつくれればいいのにな、としみじみ思う。