2021/11/26

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近所のいつものお店。名前のない、住所も非公開の秘密のお店。展示会が終わってから1週間ほどのお休みがあったから、昨日はとても久しぶりに訪ねた気がする。ひっそりと、粛々と営業している店で、静かなエネルギーをいつももらっている。こういう場所がわたしにとってはとてつもなく大事で、ここで過ごす時間を心底大切に思っている。昨日はとりわけホアちゃん(猫さん)がはじめて膝の上に乗ってくれたので、天にものぼるような嬉しさで、かわいくて、癒された。滞在予定時間を大幅に伸ばして、30分くらいなでていたように思う。意外とモモやチビ以外の猫たちと接する機会はないから、他の猫がどこをなでられるのが好きで何が嫌いなのか探り探り触らせてもらった。癒されつつもすこし緊張した。次行くときまでに匂いを忘れないでいてくれるといい。わたしの膝上はいつでも空いているので(こんな姿モモ・チビに見せたら怪訝な顔されそうだ)。

 

最近またよくアヤノちゃんの曲を聴いている。完成された音を聴くのもいいけれど、いつか生で聴きたい。できれば弾き語りで。YouTubeにアップロードされているライブ映像を見ると、画面越しにも熱量が伝わってきて、これを生で聴いたらわたしはどうなっちゃうんだろうって思った。ライブのアヤノちゃんの歌は音源とはまるっきり別物だ。全身全霊で歌を歌っている。でもいつか生で、と思ってもう3年くらい経ってしまった。どんどん大きな存在へとなってゆくアヤノちゃんを観ながら、わたしがライブチケットを得られる日は来るのだろうかと思ったりする。いつか、いつか。

寄せ集めの家具で過ごす日々へ 僕しか分からない美しさよ 額を合わせてる 後ろで濡れてる甘い朝日が あのとき言った言葉を忘れないよ ショーウィンドウはすべてを見てる 時々叱って君が 思い出してごらんよ 僕たちはさ 勝手ばっか考えろよ 今日だけ 好きなことができるよ 僕たちはさ 

(カネコアヤノ「春の夜へ」)

 

相変わらず人との共同作業が苦手だし、人間関係も不得手だ。相手の性格と自分が違い過ぎて、めちゃくちゃ善意からだとわかっているし、やること自体はたのしいのに、負担を感じてしまう。相手が何の気なしに言ってくれたこと、それ自体はありがたいというのに、それを鬱陶しく感じてしまう瞬間があって、申し訳なさでいっぱいになる。自分が負担に感じることはそうはっきり言える性格であれば、守ってほしいことは守ってほしいと言える性格であればよかったのになぁって。言えないくせに心の中では嬉しい気持ちではいられないということが、自分ではどうにもできなくて、二重にくるしくて相手にも申し訳ない。性格、どうにかしたいなぁ。

もう少し自分に対して読むこと、書くことを課したい。毎日読んで、書くこと。内容はとりあえず問わない。ぼんやりと日々をやり過ごしてしまうことを避けたい。何を思い、何を考え、何に心惹かれ、何が悲しくて、何が腹立たしく、何を疎ましく感じるのか。何を見たくなくて、何を捨てたくて、何を忘れたいのか。そのすべてをパブリックな場に出すかどうかは別として、毎日を記述すること。しばらくやってみようと思う。