2021/12/1

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八幡山にいた野良猫

11/28-29

夏に実施する予定だったゼミの合宿は感染状況が好転しなかったから中止になったんだけど、秋になって今なら行けそうかな?という状況に変わってきたので満を持して決行。本当は長期休暇に入ってからという話もあったんだけど、また感染拡大してしまうんではないかという懸念があって、たまたま11月下旬は大学のうんちゃら記念日で連休があったからそのタイミングで行くことになった(そして実際その懸念は当たりそう…またもや新種…)。合宿といっても京都から車で1時間半くらいの場所で、わりと近場でやることになった。行きは先生の運転で行ったんだけど、移り変わる外の景色がほんとうに綺麗で、赤や黄色、黄緑、緑、オレンジ…さまざまな色の草木が生い茂っていて、なんだかそれを見るだけでも少し感動した。進めば進むほど、周囲にはいろんな山が見えてきて、平野育ちのわたしにとっては山を見るだけでもワクワクする気持ちが湧き上がる。

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宿泊するコテージに着いて、ほっと一息入れて、M2の先輩の報告&議論を重ねた。今回の合宿(といっても一泊のとても短いものだけど)のメインはM2の先輩たちだ。コロナの感染拡大とともに入学して、合宿は今回が最初で最後(少なくとも就職先が決まっている人は)。先輩の報告を聞きながら、自分も来年の今頃は修論をせっせと書いているんだろうか…というか書けているんだろうかとぼんやり考えた。書けること、書けないこと、書かないこと、書こうと思えないこと、書こうとすること。いろいろな状況を想像する。研究について考えれば考えるほど、できないことやわからないこと、こわいことが増えてしまって、ここ数ヶ月は立ち止まったり後ろ向きになったり、しゃがみこんだりすることが多かった。でも、初心にいつだって戻れるようにしたい。なぜ研究をしたいと思ったのか。すでに多くの議論の蓄積があるテーマで何がしたいと思ったのか。わたしは善意や正義感によって突き動かされてきたであろうムーブメントのなかで、それでもなお取りこぼされてきた存在がいると思ったのだし、後回しにされてきた存在がいると思ったのだし、痛みが痛みとして存在できていないと思ったのだった。何が正しくて何が間違っているのか、そんなことを判断できる神のような目を生憎わたしは持ち合わせていないけど、正しさを求めるなかで置いて行かれた人々のことをきちんと掬い上げたかったのだ。それが結果として何になるかなんてわからないけど、そのことについて考えて、言葉を見つけて、文章として編んでいきたかったのだ。このことをいつだって忘れたくないし、こわくなったらゼミの仲間を頼りたい。そうしてなんとかちゃんと歩みを止めないでいきたいんだ。

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報告の後はみんなでBBQをしたり、スリッパ卓球大会をしたり、おつまみをつまみながらいろんな話をした。本当にたのしかった。近場であってもでかけたのはほんとうに久しぶりで、いつもとは異なる環境に身を置くというのはやっぱり定期的に必要だなと思った。いったいいつになったら移動が楽にできる日々になるんだろうか。それとももうそんな日は来ないのだろうか。もしそうだったらなんて生きにくい世界になってしまうんだろう。出不精であまり意識したことなかったけど、移動の自由というのは実はわたしにとって大きなモチベーションになっていたんだなと、その自由が制限されている今強く強く思う。

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翌日は何名かが朝所用で抜けて、残ったメンバーで近場を散策して、夕方帰宅。たのしいモーメントはたくさんあったけど、やっぱりかなり疲れた…な。体力的に疲れたというのももちろんあるけど(体力マジへなちょこ)、基本的にひとりでいるのを好むわたしにとってたとえ2日間であっても四六時中人と一緒にいるというのは結構応えた。自分が脱力している姿を見せられる相手は本当に限られていて、まる2日脱力できないというのは実はかなりしんどかった。途中「◯◯さん(私の苗字)、つまらなそう…」とつぶやかれて、そういうわけじゃないんだけどな。一瞬表情をゆるめると、基本無表情になってしまうから、それでつまらなそうと思われたのかもしれない。でもわたしはそんなにずっと表情管理できないよ。自分だけのペースで移動も休憩もできないことは、わたしにとっては久しぶりの出来事で、とてもたのしかった反面とても疲れた。その後の2日間はがっつりその反動が出てきてしまって、疲れがなかなか取れないし体調も芳しくない。なかなか人間関係の不得手さは治せるものではないらしい。しばらくは休むことに徹したい。

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12/1

師走だね。びっくり。今日は午前中いっぱい体調がよくなく、ベッドで過ごした。初めてゼミを欠席してしまった。なかなか思うように動かない自分の身体が嫌になることはごまんとあるけれど、仕方ないよね。すべての人の身体も心も違うようにできているのだし。でも今日の報告はとてもたのしみにしていたから残念だった。あとでペーパーを読んで、いくつか個人的にコメントを送ろうと思う。

土曜日に配信を始めたPodcast、「聴くね」「聴いたよ」「待ってたよ」といろいろな声をいただけてうれしい。脱線で構成されている雑談を流すことに何の意味があるのかわからないけど(意味なんかなくていい気もする)、誰かの日常にそっと寄り添ったり、空虚な時間を埋めるために使われたり、のんびりしながら聞いてもらえたりしたら、大満足だなと思う。まぁ、まだ1話しか配信していないから、本編?はこれからだけど。意外と編集作業がおもしろくて、目と耳は疲れるけど、嫌いではない作業だ。編集作業を通して、すこしでも自分の声嫌い(声がコンプレックス)が改善されるといい。

この数日、1週間ぶりに見たTwitterはPTD_ON_STAGE_LAの話題と写真でいっぱいだった。もちろん自分も早くまた彼らの歌と踊りを生で見たいし、その存在の確かさを見つめたい。でももうなによりも彼らが生身のアミの前でパフォーマンスをして、リアルなまなざしと歓声を感じることができたというその事実がほんとうにうれしくて、心からよかったねぇって思っている。写真越しでもわかるほどに彼らのはっちゃけるうれしさが滲み出ていて、こっちまで涙ぐんでしまう。これが彼らにとっての幸福なんだろうなと思う。

先週から断続的に🌳や見ていなかったタリョラ、昔のインタビューをぽつぽつ見たり、歌を聴いたりしている。いっときは自分の目の前のことに追われたり精神的にかなりダウンしていた時期があって、ぜんぜん彼らのコンテンツに触れることができなかった(彼らはこんなにもがんばっているのに、いったいわたしは何をやっているんだろうという負のサイクルに陥ってしまうので)けど、久しぶりに見ると、しんどいときこそ実は彼らの姿に救われるのかもしれないなと今更ながら感じるようになった。彼らが存在することに、彼らと同じ時代を生きていることに感謝。


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