変身

       

米津玄師 2022 TOUR / 変身に行ってきた。この場所でも何度か言及しているけれど、日本のアーティストで唯一新しい楽曲がリリースされるたびにきちんと聴いて、ライブにも行ったりしている、わたしにとっては稀有な人だ。それくらいに彼のつくる音楽が好きだし、ときに慰められたり励まされたりしている。考えてみたらはじめて彼の音楽を聴くようになったときも、はじめてライブに行った時期も、そして今回のライブのタイミングも、人間関係や自分自身の存在に悩んだり苦しんでいる時期と重なっている。たまたま、偶然ではあるのだけど、なんとなくそういう周期で彼と彼の音楽に助けられている。

3度目になる今回のライブも非常に、非常にすばらしかった。セトリや歌そのもの、そして演出がすばらしかったことは言うまでもないことだけど、彼が偶然性や一回きりということをとても大事にしてくれていることがひしひしと伝わってきて、そのことがとてもうれしかった。ライブの一番の醍醐味は同じ空間と時間を共有しているということにあると思っているし、そのなかで起きた偶発的な出来事はそれが保存されないという点において大きな意味を持つものだとも思っている。記録されないからこそ記憶に残ることもあるのだ。

彼が中盤のMCで話していたことが脳裏に焼き付いている。正確な文言は違うかもしれないけど、彼はこんなことを話していた。

この2年半くらい、この状況のなかでできるライブの到達点は何だろうかと音楽仲間と話してた。そこでの結論は、演者も観に来た人も全員が一緒に一体感を持つということだった。でも、本当にそうだろうか。自分が10代の頃にライブに行くという習慣がなかったからかもしれないが、誰かのライブに行っても自分がここにいてもいいのだろうかっていう想いがあった。だから自分のライブではみんなで一体感を持つとかしなくていい。好きに盛り上がるのもいいし、あるいは今は声が出せないから手拍子を叩くのもいいけど、何もせず自分のなかで静かに音楽を受け取っているだけでもいい。ただそこにいるだけでいい。もっと極端なこと言えば、つまらなかったら帰ったっていい。それくらい、この場所では自由に過ごしてほしい。ときに人生はクソだけど、今日くらいはそうじゃなければいいと思う。

ああ、好きだぁってなった。わたしはライブも好きだし、ライブをたのしいって思ってるけど、基本的に感情が表情に出にくいし、無理やりウェーーイってやるのがとても苦手だ。まわりと比べて盛り上がりに欠けるわたしがライブに来てしまっていいのだろうかという気持ちは今まで何度も味わってきた*1。だからこういう彼の言葉にホッとした。

 

セトリはPOP SONGから始まった。おそらくわたしが行ったことのある米津さんのライブでは初めてなような気がするんだけど(記憶にないだけだろうか?)始まりと終わりにオリジナル映像があって、特に最初の映像はPOP SONGの演出と重なるように構成されていた。今回のセトリにあってくれ〜と思っていた一曲だったし、遊び心満載なこの曲が好きです。

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新曲のKICK BACKもライブでフル尺で聴けた。まだリリースはされていないからプレイリストには入れられていないけど。

個人的にさいっこう!な部分はPOP SONGからの感電の流れ、カナリヤからのアンナチュラルのOSTからLemonの流れ、そして最近の曲ではないアイネクライネ(まさかのギター弾いてた!)、アンビリーバーズ、ゴーゴー幽霊船(ゴーゴー幽霊船はやはり盛り上がるねぇ)、爱丽丝、ピースサインあたりがあったこと、そしてアンコール1曲目が死神だったところかな。

カナリヤ&Lemonはかなり荘厳かつ美しい演出がされていて、最近の悩みと心境も相まって思わず涙が溢れた。そういう力を持つ曲ですよ、この2曲は。

懐かしの(というほど昔ではないが)曲の中でもアンビリーバーズとアイネクライネは胸熱でしたね。わたしはアルバム「BOOTLEG」が出た頃にファンになって、この頃からすでに彼は大衆音楽家としての地位を確立しつつあったけど(だからこそわたしみたいな人間のところまで届いたのだと思う)、やはりLemon以前以後でファン層は確実に拡大したと思う。まったくもって古巣ではないけど、なんとなくLemon以前の曲があるとうれしくなるし、過去を大切にしてくれているところも好きです。いつかライブで聴けるといいなと願っている曲は、Neighbourhood、ナンバーナイン、vivi、恋と病熱。ライブを続けてくれる限り、音楽を続けてくれる限りついていきます。いつかを願って。

アンコール4曲が終わっていよいよ終演となったとき、これも今回が初めてだと思うんだけど映画のようなエンドロールが流れた。今回のツアーに関わったすべての人一人ひとりの名前がしっかりと刻まれていた。当たり前っちゃ当たり前だけど、一度のライブをするだけでも見えないところで本当に多くの人の働きがある。そういうすべての人へのリスペクトを感じられて、ほんとうに終いまで粋な人だなぁっと思ってまた好きになった。

実は今結構身体にガタがきていて、2時間のライブは体力的にきついものがあったのだけど、それ以上に受け取れたものが非常に多かったのでオールオッケーです。きっとこうして一部の記憶を書き留めたところで、人間の持つ忘却力には敵わないので、どんどん記憶の中から滑り落ちていく思い出もあるのでしょう。でも、たとえ記憶が消えても自分の中に残りつづけるものがあるのだろうとも信じている。銭婆が「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」と言っているように。

 

ここ数日で京都の季節もがらりと変わった。ちょうど今日先輩と「秋が始まって秋が終わったね」と話していたけど、ほんとうにそう。秋というより、冬の訪れを予感させる、そんな気候。夏も焦っていたと言えば焦っていたけど、気候が変わったことで論文の締め切りが一気に近づいてきたように感じられた。ひとまず今月の中間報告までは気を引き締めて走り抜きたい。そのあとは細々と構成を調整しながら、ある程度の完成図を年内につくっておきたい。と同時に、今後のことも考えていきたい。中間報告を終えるまではそれだけに集中したいところだけど、某助成金に申請するか迷っている。申請書書くのも骨が折れるんだよな。ウゥ。申請書を書くことは研究者の宿命ではあるけれど、なかなかしんどいものがある(どうしたって結果を考えてしまうから)。研究やっててよかったー!って思う瞬間も、研究なんかやめてやると思う瞬間もジェットコースターのように毎日訪れて、気持ちがぐらぐらになって疲弊してしまう。もう少し先々への不安をなくせる環境で研究ができればいいのだけど、現実はなかなか厳しい。まあ、兎にも角にも論文を提出しないと先へは進めないので、ライブで蓄えた気力をもとに秋冬とがんばります。

*1:推しのアイドルはいるけど、アイドルのライブやファンミはとても盛り上がるので、そのノリにうまく乗り切れない自分はいつもたのしみ半分疲労感半分の気持ちになってしまう。とてもたのしいしうれしいことには変わりないけど、疎外感を感じないと言えば嘘になる。