他者と関わり合うこと

  • それはアウティングですね、という話をうっかりと聞いてしまって、そのときの自分が即座に反応できなかったことを悔やんでいる。ほぼ面識のない人の話だったけど、やはり何度考えてもアウティングだったと思う。わたしが知るべきではなかった話であり、何かしらのかたちでしっかりと反応しなければならなかった話でもある。自分よりも3まわり以上年上の人ということと、人の話を聞くよりも自分の話をぐんぐんしてくる方ということもあり、いつもどうにも反応が鈍くなってしまう。あ…と思った瞬間には次の話題に移っていたりするから、どのタイミングで、どのような言葉で、それは安易に人に話すべきではないということを示すべきだったんだろうか、と今も悩んでいる。その話題のときに「わたしたちは別にそういうこと話されても大丈夫だからね」「そういう人に対して変に思うとかないし」「まあ、わたしは違うんだけど」「ああいう綺麗な顔してるからなんとなくわかるわよね」といった言葉も出てきて、もうどうしようかと思った。どこから突っ込んだらいいのかわからず、なんとか応答しようとしたけれど、会話のテンポが早すぎて応答が聞き入れられなかった。とてもしんどかった。のろまで、問題提起をできずじまいだった自分がはずかしかった。

 

  • 考え方の異なる人と関わり合うことはおもしろくもあるが、非常にエネルギーを要する行為だ。自分が変わりつづけるために、他者への門戸は開いていきたい。ただ、それはやはり人の話を聞く気のある人でないとなかなかむずかしいかもしれない。

 

  • 指導教授が以前「箇条書きの方がよく書けるなっていう日と、まとまった文章を書いた方がよく書けるなっていう日があるんですよ」と話していた。今日のわたしは前者です。

 

  • 兵役に行ってしまったかれと、これから行くであろうかれらのこと。軍事的暴力というものをどうやって考えていくべきだろうかというのを自分の研究においてもずっと考えている。抗うとはいったいどういうことなのか。自分はどうやってこの世界と付き合っていけばよいのだろうか。昨今のニュースはあまりにも辟易とするものばかりで、抵抗しなければならないという想いをますます強くさせる。しかし、抵抗しきれないほどの暴力の到来を予感しつつある。とても、こわい。

 

  • わたしのゼミだけがどうやら異色らしいけど、同期のほとんどがゼミで食事に行ったことがないらしい。仲良しこよしになんてなる必要ないけど、対話の場は関係性においてとても重要だとは思う。すこしまえにゼミの先輩ズと「今の学部生にとっての大学とうちらにとっての大学ってだいぶ違うんだろうねぇ」ということを話していたのを思い出した。

 

  • 我ながら、自分の論文はぶっとんでると思う。論文を書きながら、「論文とは……」「研究とは……」という原初的な問いに立ち返っている。なぜ、いま。

 

  • 気づいたら自分もめっちゃ大人だなという年齢で、たびたび驚く。あと10年くらいは親戚等に会いたくない。聞かれたくないことがどんどん増えていくなあ。

 

  • 研究と生活が成り立つような制度を求む。

 

 

  • 女の園の星3』が言わずもがな、最高だった。和山やま作品は笑いが必至なので、家で読むべき。まだ東京にいたとき、電車内で『夢中さ、きみに。』を読んで「ふふふ」と笑ってしまい、恥ずかしさでめっちゃ暑くなったのを覚えている。各自、かならず、笑える環境で読んでください。

 

  • 若干、持病がよくなってきているような気がして、うれしい。

 

  • 交感神経が優位で眠れません。整体の先生のおすすめしてくれたやり方を試してみたりはしているが、昨日から急激に寒くなったのもあってか、あまり効果ない。きっと論文を提出し終えたら眠れると思う。でも、それはつまり、あと1ヶ月はつづくことを意味している。どうやったら熟睡できますか。

 

  • 各所できょうだいについての話を聞く機会があり、兄との思い出を思い出していた。圧倒的に幼いときの記憶しかなくて、すこし悲しい。なにもかもが似ていないきょうだいだけど、わたしはもうすこし親しくなりたかったなと思うよ。年が離れているのも原因かもしれないけど、なんだかんだ血縁家族のなかで一番兄のことを知らないかもしれない。何が好きで、何が嫌いなんだろう。結婚して子どもが生まれてからは一層疎遠になった気がする。でもこれは兄なりのやり直しなのかもしれないなとも思うし、兄は兄で大事にしたいものがあるのだろう。またいつか何かの折に親しくなるきっかけがあるのかもしれない。そのときを気長に待とうと思う。ちなみに、今も仲が悪いわけではない。一緒に対戦ゲームをしたこと、好きなおかずの最後の一個をいつも残してくれたこと。くだらないほどささやかな記憶が今もずっとあたたかい。

 

  • 音沙汰のない友人を想う。元気ならばそれでよいが、なにかあったのだろうかとすこし心配になる。便りがないのは良い便りという言葉を信じて、何もないことを願う。

 

  • 最近は食事がワンパターン化している。何をつくろうか、と考えるだけのキャパが残っていないのだと思う。黙々といつもの食事を食べるだけで味気ない。ふと、やっぱり人と暮らしたいなと思った。人と暮らすむずかしさがあることは重々承知だけど、食べものだけでなく、人と共有していくことには大きな喜びがある。