おわりとはじまり

博士前期課程を修了し、博士後期課程に進学した。Master of Contemporary Asian Studies。3月から4月にかけてのこと。卒業式には行かなかった(というか行けなかった)が、親からは「せっかく修了生代表に選ばれたのにもったいない」と言われた。そういう注目のされ方は得意じゃないので、行けなかったことに感謝した。月末に学位記と製本された修論、記念品だけを事務室からもらった。ほんのりと味気なさはあるけど、これくらいでちょうどいい。

 

3月のこと。パンデミックの状態になってから、もっとも充実した3月になった。3年半ぶりに韓国へ。久しぶりに会えた友だちも、かのじょの紹介で会えた新しい友だちも、ずっと会ってみたかった(たくさん引用もさせてもらった)研究者の方も、旧ゼミメンバー(1年だけだけど)の方も、学部時代の先生とも、とにかく人とたくさん会ってたくさん話した。

とにもかくにも、食べ物がおいしいこと。年々あまり量を食べれなくなってきているけど、そのことが惜しいと心底思った。好きな人たちとおいしいものを囲んでたのしいひとときを過ごすことができて、疲弊していたこころがほんの少し軽くなった気がする。

 

3年半前に滞在中何度も通ったカフェ。最終日にひとことだけお礼の手紙をおいて帰ったら、後ろからお店のお姉さんが追いかけてきてくれて、お店のオリジナルトートをプレゼントしてくれた。

以前はおひとりでやっていたっぽかったけど、この3年半の間に成功したらしく、店員さんの数が増えていた。顔をしっかりと覚えていたわけではなくて、髪型も変わっているような気がして、どの方があのときのお姉さんだったのかわからず、声をかけられなかった。すこし残念だったけど、再訪が叶ってとてもうれしい。相変わらずのおいしさと空間のよさだった。

 

인왕산へも登った。淡々と歩くのが好きなのと、山登りを今年はしたいなあという想いがあって、初心者でも登りやすい山を選んだ。もうひとつ、推しがここに登った写真をあげていたからというのもあるけども。

思いの外登りにくい道もあったけど、気持ちよかった。下山後、からだによさそうな昼食を摂った。

いろいろ行けてよかった場所もあるけど、何よりも人が充実していた。1日の1/3くらいを喋り通した日もあり、自分の研究上の悩みについても話を聞いてもらえてありがたかった。結局のところ、会って話してみないと得られないものは、たしかにある。新しい人との関係構築は苦手ではあるのだけど、それと同時に矛盾するようだけど、人に会うことも人と対面して話すこともとても好きなんだと思う。

ひとりで見に行った展示は、これは人と来たらたのしいだろうなあと思うようなものだった。鑑賞というより、参加するって感じ。

後半に合流したスタディーツアーは、いろいろと感じること、考えること、葛藤があった。今後の自分のために、きちんと胸に留めておこうと思う。わたしはわたしの問いとともにつづけていく。

ちまちまと勉強を続けていた甲斐もあって、最低限の会話と街の看板やお店のメニューが読めるようになったことは、この2年弱の小さな成長でもあった。足りてないなあという思いも強くなったけど、できるようになったことも確かにあるのだ。亀の歩みであっても一歩は一歩。立ち止まっていたわけではないということをきちんと肯定することはきっと自分のためになるだろう。

 

帰国後、翌々日にはもともと予定していた友だちとの秋田旅行。旅行らしい旅行をしたのは久しぶりだった。年末に会ったときに、きりたんぽ鍋食べたくない?という軽いノリで決定した今回の旅行。無事目的を達成できて満足(初日に飛行機を乗り逃すという大失態を犯したのに、一緒にたのしんでくれた友だちには頭が上がらない……。恥ずかしいし申し訳ない)。

2日目の朝食

2日目はその日のノリ(再び軽いノリ)で急遽カーシェアを予約して、男鹿半島へ。道の駅が個人的ハイライトだった。地のものは惹かれてしまう。安くておいしそうな魚介が印象的。屋外のスペースにいた秋田犬のハチくんがもふもふで、あまりにもかわいかった。

秋田犬のハチくん

わりとかのじょとの予定は外的要因によってキャンセルになることが多かったから、今回は行けてよかった。出会ったときとは住んでいる場所も立場も所属も大きく変わってしまったけど、変化を肯定しつつ、変わらない互いへの信頼と安心感を大事に関係をつづけていきたい。また一緒に旅行いきたいなぁ。

 

3月はフェローシップの支給対象に選ばれたという意味でも大きな意味をもつ月だった。生活費と研究費をもらえるのはシンプルにありがたい。付属する義務や制限もあるし、某制度には毎年申請し続ける必要はあるのだけど、それが不採用であっても最低3年は路頭に迷わずにすみそうだし、すこしは自立につながりそう。それは自分にとってすごく大きなことだ。何より専門外の人たちに自分の研究は価値があると認められたことが素直にうれしい。人に認められることが研究の基準になるべきではないとは思うけど、そうはいってもずっと孤独でいるのはつらいことでもある。いい問いを持っていると言われることはやっぱりモチベーションにはなる。この喜びは喜びとして受け取ろうと思う。

3月からは新しい職場での労働も始めた。万事順調というわけではないけど、これも参与観察だなという気持ちでいるので、一線を画しつつ、楽しめる部分は楽しめばいいかなと思う。労働の対価が目的ではあるのだけど、それだけを目的にするのはしんどい。いろんな目的や価値を働きながら見出していければいい。

しばらくブログやソーシャルメディアからは距離を置いていた、というか関心がなくなっていたけど、ブログに日々の記録を綴ることだけはときどきできればいいな。