Monthly Reflection

 

【雑記】

・庭に住み着いていた猫たちの新しいおうちが決まった。施設のInstagramにも写真がいくつか載っていて、安心した顔をしてて心の底から良かったと思った。どうか新しいおうちで幸せに長生きしてほしい。うちにいた頃の写真を見て、ほんのり寂しく、でも嬉しい気持ちでいっぱいだ。

・今学期新しく取った授業のひとつが、驚くほどに生気を吸い取られる授業でげっそりしている。ひとつひとつの言葉や「普通」「常識」と思われがちな諸前提にいちいち反応して勝手に傷ついて、自分の存在が削り取られていくような感覚があった。なんで自分だけこんなことに反応してしまうんだろう。まわりが笑ってやり過ごせることがわたしにはできない。どんどん授業のなかで孤立していくような気がした。本当はあまり履修中止の選択をしたくなかったんだけど、これはもう保たないなと思ったので、中止することにした。担当する先生や受講する学生によって、大学院で感じる安全だという確信はいとも簡単に崩れるのだということを知った。

・3匹に早く会いたい。画面越しにときどき会わせてもらってるけど、どうも声には反応しても画面上の顔には気づけないみたいで、片思いのような一方通行のやりとりを繰り返している。それでも声はわかるみたいで、あたりをキョロキョロしたり返事をしたりしている。早く抱きしめたい。

・指導教授があまりにも良い先生すぎる。これに関しては入学してから変わらず思っている。じっくりといつも話を聞いてくれて、さまざまな可能性を示してくれる。でもわたしはその可能性に潔く飛びつけるほど勇敢ではなく、片足を踏み出して見ることくらいしかできない。まだまだわたしは自分にかかっている呪いをふりほどけないでいて、そのこともそういう優柔不断さに表れている。なかなか不安や恐れ、焦りは消えないけど、目の前のことをひとつひとつ着実に挑戦してみることが未来の自分の自信にすこしでもつながればいいと思っている。

・新しいバイトにアプライした。どうだろうか。

 

【読書】

ヤマシタトモコ『違国日記8』

ずっと新刊の発売を心待ちにしていた。いずれ『違国日記』という作品について、わたしがどれだけこの作品に心酔しているかをきちんと残しておこうと思っている。以下、Instagramの読書記録に残した文章をここにも載せておく。

8巻ももう何から話せばいいのかわからないくらいに素晴らしくて、これだけ多くの人の視点を持ち合わせたヤマシタさん、いったい何者??という気持ちが年々高まっています。
朝の無自覚な暴力性や浅はかさ、そういうものが巻を追うごとにたくさん描かれてきているような気がしているんだけど、それでも人との関係性のなかでときに相手を傷つけながら、ときに巻き込みながら、それでも少しずつ変わっていけているということ、そういうことが今巻では描かれていてとてもよかった。
何を言ったら傷つくのか、それを決めるのは言う側の人間ではなく言われる側の人間であり、その意味では誰もが相手を傷つける可能性が十分にある。
たしか最初の方だったと思うけど、槙生ちゃんが「わたしたちは別の人間だからわかりあうことはできない。だからこそ歩み寄ろう」というようなことを言ってたと思うんだけど、歩み寄るということは楽なことではないし相手に拒否されたり空虚な気遣いをされたりする。それでも歩み寄ることでしか別々の人間同士が共に生きる方法はないのだとも思う。わたしたちは同じだという地点から始めるのではなく、わたしたちは異なるという地点から始めることができるならば、それはわたしにとって希望だな。
「好き」という感情が異性に対する恋愛感情としか受け取れなかった朝に槙生ちゃんが「関係に名前なんかなくていいんだよ」と言ったシーンがあって、もうほんとにそうですよねぇ〜って思った。互いが互いに対して好意を持っていて、一緒に同じ時間を過ごす、そこにわざわざ「わたしたちの関係が何であるか」の説明は必要ないのではないか。説明は誰に対してなされているのだろう。わたしはわたしが好きな人とこれからも一緒に生きていきたいな〜、それだけだな〜と日々思う。
それから、みなさん思ってると思うけど、笠町くんがいい人すぎて泣けてくる、というかここまでいい人すぎて大丈夫かな?と心配になる。彼がかつて鬱病で休職、辞職したというのもなんだか頷けるなと思っちゃう。わたしがこの作品を好きな理由のひとつに大人から子どもへのまなざしがある。子どもを子どもとしてきちんと扱うこと。それは単なる子ども扱いということではなく、大人の責任を押し付けないということであり、子どもが子どもとして生きることを尊重すること。今巻で笠町くんが朝と対峙しているときの言葉選びがすごく印象的で(わたしは笠町くんが「朝ちゃん」ではなく「朝さん」と呼ぶことにとても好感を持ってる)思いつく限りの言葉を手繰り寄せて、ひとつひとつ選んで言葉を発している気がして、とても優しいな〜と。
笠町くんの境遇や心情はわたしのそれとは似て非なるものだとは思うんだけど、それでも彼が最後に朝に言ったあのセリフがわたしの奥底をふわっと少しだけ軽くしてくれた。

 

荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』

この本はたまたま本屋さんをぶらぶらしているときに目に止まって購入した本。完全にタイトルと帯に一目惚れをしました。購入してからしばらく積読にしていたのだけど、これまた偶然、夏休み中に聞いたD-Radioで荒井さんがゲストで登場していて、またその語り口調にすっかり惚れ込んでしまって、これは読まなければ!と強く思ったのでした。……と言いつつ、実際に読んだのは今月に入ってからで、随分と長い積読期間を経ている。本の内容は、今の社会状況に対しての違和感や疑問、怒りに対して、荒井さんが出会ってきた障がい者運動家らの言葉を引用しながら考える、とざっくり言うとこんな感じのエッセイだ(エッセイというジャンルで合ってるのかな)。あまり自分がアンテナをはってきたことではなかったから初めて知る人や言葉がほとんどだったんだけど、ハッとさせられる考え方や造語がいくつかあった。それに何よりも荒井さん自身のあとがきがすこぶるよかった、とわたしは感じた。とくによかった文章をふたつ、引用しておきます。

学者というのは、どちらかと言うと「要約」のプロフェッショナルなのだろう。というか、そうあるべきなのだろう。ぼく自身、物事を正確かつ緻密に言葉で表現する訓練を受けてきた(つもりです……)。でも、世の中には「一端を示す」ことでしか表現できないものがある。ぼくの中にもある。伝え手側の言葉の技術ではもうどうしようもなくなって、とにかく受け手側の感受性や想像力を信じて託すしかない。そんな祈りに近い言葉でしか表現できないことがある。そもそも「要約」というのは「お前は、この私にとってわかりやすい存在であれ」といった傲慢さと隣り合わせだったりする。だからこそ、そうでない言葉の在り方を、祈りのような言葉の重みを、いろんな人の言葉の力を借りて表現してみよう……という無茶な試みがこの本だったのだけれど、それができているかどうかは、それこそ受け手を信じて祈るしかない。

パンデミックに限らず、大災害は人間を数字(死亡者数・重症者数・陽性確認者数など)に置き換える。数字化(データ化)というのは究極の「要約」かもしれない。非常時には「今世界はどんな状況なのか」を正確に把握しなければならないから、どうしても人間をデータ化する必要がある。そうした情報を収集・解析するために高度な技術を持つ専門家たちが今日も身を削って奮闘してくれている。でも、その数字はあくまで「うまく言葉にまとめられない人生を生きる一人ひとり」を置き換えたものだ。いま世界全体が同じウイルスに苦しめられているけれど、その苦しみの内実はそれぞれ違う。日々更新される数字の裏には「要約」なんかできない人生が張り付いていることを忘れてはいけない。

 

open.spotify.com

 

イ・ラン『話し足りなかった日』

新譜に続き、新しいエッセイも出ましたね!もうさ、タイトルからいい。短い文章がいくつも収められている形式だから、お風呂で読んだり寝る直前に読むのがとてもちょうどいい長さ。読もうと思えば一気に読めてしまうのだろうけど、あえてゆっくりゆっくり時間をかけて読んでいる。読んでて「あれ?」と思う部分があって、それは三人称のところ。すべて「彼」と訳されていて、「彼女」という表現が一切見当たらない。訳者のコメントを読んでみたら、「性差表現を取り払いたいという著者の意図を伝えるため、原文表記『그』をそのまま訳出しました」と書いてあった。なるほどな、と思いつつ、選ばれるのは「彼」という表現のほうなんだなと思ったりもした。きっとこれは日本語の三人称で性別を問わず使えるものがないという問題に由来するのだろうけれども、「その人」「その方」「あいつ」「この人」「〇〇(名前)」etc、こんな表現ではだめだったんだろうか。ニュアンスが違う!と言われてしまえばそれまでだけど、必ずしも「彼」「彼女」のどちらかに統一しなければその人のことを指し示せないというわけではないようにも思える。

 

 

 

その他、論文諸々…。

 

【映像】

今月新しく観た映画やドラマは特にないけれど、また進撃を最初から観ているのと、進撃を観た他国の人のリアクション動画を観ている。人によっては推測がすばらしくて、この段階からそんな推測できるの?!と驚かされている。リアクション動画は今のところ、このチャンネルが一番いい編集だなと思っている。


www.youtube.com