2021/10/20

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秋をすっ飛ばしたような気候になってしまって、正直参ってしまっている。あまりにも急すぎますよ?先日実家から冬物の服を送ってもらい、代わりに夏物を向こうに送り返したのだけど、ギリギリセーフだったな。ここ2日くらいは急激に冷え込んできていて(特に朝晩はもはや冬)、何を着るかを決めることが毎朝の一大イベントになっている(嬉しくないイベントだ)。でもあたたかい飲み物によって脱力感を味わえる季節が到来したことがすこしだけうれしくて、立ち止まってしまった自分と反比例するかのようなスピードで世界が変わっていてくれることにちょっぴり安心もする。この鬱々とした感情の下降動作もこの季節のせいだと思いたい。

 

今日はひとつ、授業の報告を終えた。文献があまりにわからなすぎて、読み込むことに時間がかかってしまってヘトヘトだった。うまく報告できたのかの自信もぶっちゃけ全然ない、が、とりあえず終わって安心した。今月はもうひとつ、ゼミで自分の報告をすることになっている。明日からはその準備に取り掛かる。だいたい報告しようと思っている内容は固まっているけれど、まだ文章化していないから、明日はそれを大雑把に書いておくこと。それと研究に関わる本も2冊、府立図書館で借りておくこと(もう絶版なのでなかなか手に入らないけど、ついこの間古本でなんとか購入できる値段で出ているのを見つけた。今月は難しいけど、来月に入ったら買うつもり)。バイトの応募期限が迫っているから申し込むこと。秋学期学費の振り込み期限も迫っているから、これも至急済ますこと。…と、書き出そうと思えばやらなきゃいけないことは山ほど出てくる。なんとか今月をやり抜き、来月もそこそこがんばっていけるといい。

 

あまりに耐えられない授業のひとつは履修中止することにした。難しいとか、そういうことではなく、とてもじゃないけど先生の発言に耐えられなかった。その場の空間が安心して発言できる場ではなく、むしろ90分間で自分の持ち得るほとんどのエネルギーが費やされてしまうほど、わたしにとっては危険で、ナイフをつきつけられているような時間だった。ただ、この授業は論外としても、なんだか今学期初めて話を聞く先生たちにどうにもひっかかる部分があって、これはなんなんだろうと思っている。言っていることは正しいのでしょう、と思いつつ、この正しさは誰にとっての正しさなんだろうと思ったりする。説明してしまう、という行為に潜む暴力性のようなものを考える。理路整然と語るその姿がほんの少し恐ろしく、受け付けられない抵抗感のようなものを感じる。整理をして、枠組みを与え、分析し、説明する。ここからこぼれていくものを、消されていくものを、踏み潰されていくものを、わたしは感じる。その説明はもしかしたら誰かを救い、誰かにとっては光となるのかもしれない。それでもわたしはずっと、見えていない何かの方を、傷ついた人の方を、影の中に隠されてしまったことの方を、向いていたいと思う。それがわたしにとっては研究のモチベーションとなっている。我ながらなんという矛盾、と思いつつ。説明しつくされない何かのことを記述するにはどうしたらいいのだろう、と考えている。これは一生引き受けなければならない問いかもしれないな。

 

ここ最近、人と接することに疲れを感じやすくなっている。相手がたとえ自分の好きな人であろうとも、誰かと言葉を交わし、時間を共有することが今は楽しめなくなっている。どうしたら少し前の「とりあえずは大丈夫」という状態に戻れるのだろう。どうしてわたしはこんなに人といることが不得手なんだろう。人と共に生きることができないかもしれないと初めて感じたのは、おそらく18歳の頃だった。もしかしたらそれより前にも感じていたかもしれないけど、一人暮らしを始めて初めて自分だけの空間を得たことで、より一層はっきりとわかってしまったのかもしれない。誰かと寝食共にすることは難しい、と。

 

はやく大丈夫になりたい。これからの道にふさがる多くの不安や恐れも、今この瞬間にも重たく肩にぶらさがっているものも、すべてとは言わないから、すこしでも消えてくたばってほしい。うまく息が吸えないという日が断続的にあって、あらゆることがどうでもいいと思ってしまう瞬間がある。まったく、自分のことがほんとうに嫌になってしまうな。