2022/07/29 短信といくつかの覚え書き

昨日今日となぜだかしんどさがどんどんと堆積していくようで身体が重い。何か辛いことがあったのかと聞かれれば、NOと応えるだろう。ちゃんといい時間もあった。でも何の決定打もなく、何の前触れもなく突然、いくつかの苦しかった出来事や記憶のフラッシュバック、過剰な妄想による自責と自己嫌悪、それによる自分に対する強い非難と否定を繰り返してしまうことが、わたしにはある。今日は勢いでTwitterのアカウントを消した。Twitterを通して知ることも、出会えた人もいる。でもやっぱり言葉のあり方がヘルシーではなくて、不用意に傷つくことも多かった。好きでやっているSNSで傷つくなんてばからしいなと思って、なんとなく消した。でも後ろ髪引かれる思いは、ある。個人的な連絡先を知っている友だちもいるけれど、あの場所でしか知り合えていない人もいるし、まだ見ぬ友だちもいるのかもしれない。そう思うともったいないなぁっていう気もする。30日間は完全に消えることはないから、すこし考えたいと思う。

 

書かなければならない計画書が思うようにはかどらず、ちょっと苦しい。忙しすぎて書けないのとは違う。忙しくないのに書けないから苦しい。1日1日を無駄に過ごしている気がしてしまうし、実際にそうだとも思う。でも、昨日の今学期最後の授業でM先生が話してくれた言葉にすごく救われる思いがしている。

「最近カタカナ語ばっかり使ってしまって。そうそう、最近ある翻訳をしていてalternativeオルタナティブとは異なる訳し方をしてとてもうまくいったなと思っているんですよ。それは“未発の可能性”という言葉。みなさんも体験したことあると思いますけれど、今日は本を1ページしか読めなかったなとか何もできなかったなという日があるでしょう。私もよくあるんですけど。そういう日ってすごくネガティブに捉えちゃうでしょ。あーあ、何にもできなかったって。でもそうじゃないんですよ。一見何もしていないように見えて、実は次に起きることへの可能性を秘めた状態、つまり未発の状態なんですよ。それは必ずしも否定的に捉える必要ないんですよ。むしろ学生の頃はもっと積極的に何もしない時間を持った方がいいんじゃないかな」

最近のわたしは自分でも何にもできてないし何も書けてないって落ち込む日が多い。もちろん怠慢な側面はあるにはあるから改善していくべきなんだろうけど、何もできずに1日が終わってしまったって過度な罪悪感だけを抱く必要はないのかもしれない。次に起きることへの準備期間なのかもしれない。未だ起きていないだけの、何かの到来のために。そう思うだけでほんの少し気持ちは軽くなる。