2022/03 ときどき週報

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3/11

今日でもう11年目か。今日もまだ変わり果てた日常を生き抜いている人がいるのだろう。「復興」とか、「忘れない」とか、「絆」とか、そういう言葉を見ながら、11年経った今もほんとうに話さなきゃいけなかったことがまだ何も話されていないのではないかという気がする。表に出てこないだけで、あの日のまま何も動いていない人もいるだろうし、あの日を境にゴロゴロと転げ落ちるように人生が傾いていった人もいるのだろう。そんな人たちを忘れながら、置いていきながら、今の日本社会が成り立っているように思う。

11年経つと、やはり報道のされ方も追悼のなされ方も変わってきたなと思う。今年は特にウクライナのことがあるから余計に後景に退いているような気がする。少し前にロシアの軍事侵略への反対を示す文章を読んだ。そこには「平和とは戦争のない状態」と書かれていた。本当にそうだろうか。もちろんわたしは明確に軍事侵略反対の立場だけど、戦争がなければ平和だなんて言えるのだろうか。3.11の報道が後景に退くのと同様に、大きな戦争の影では今日もどこかで人が暴力を受けたり、不運にも事件事故に巻き込まれたり、自死へ進まざるをえなかったりしているのに、それは多くの人が与り知らぬところで進行している。わたしには戦争がなければ平和だなんて思えない。もっと平和という一語について考えてみなければならないと思う*1

 

3/12

ひさしぶりに兄と義姉と姪に会いに行った。兄とわたしは何から何まで正反対。「幸せな家族」を求めて、そして今それを実現しつつあるということがまさに性格の差異を表している。兄たちが結婚前、あまりに急過ぎたこと、親との仲を取り持つために動いたのに結婚式当日まで義姉に会わせてもらえなかったり何も話してもらえなかったこと、そういう蓄積がかなしくて苛立たしくて結婚式には行かなかった。すこしだけそのことを考えてほしかった。でも、年の離れたわたしたちはまともに喧嘩したことがない分、仲直りの仕方もわからなかった。2年前からなんとなく話すようになって、そのままなあなあになっている。今は前とそんな変わらず話すようになった。とはいえ、前よりもさらに会う機会は少なくなったし、元からお互いのことを詳しく話すような関係ではなかったから、多くのことを話しているとはいえない。でももうそんなもんだと思ってわたしは割り切っているし、それなりのきょうだいとして、時には協力し合えればそれでいいんじゃないかと思っている。

姪には生まれたてほやほやのときに会って以来会っていなかった。以前から夜泣きや癇癪がひどいという話を聞いていたから、ある程度覚悟して行ったけど、案の定この世の終わりみたいにギャン泣きされた。このボリュームの泣き方を毎日密室の中でされたら本当にストレスたまるだろうなと思った。たとえそこに愛があっても、しんどいものはしんどい。愛情云々言う人は子育てを自分ごととして考えたことがなかったり、あるいは誰かに任せっきりの人だけだろうと思う。ギャン泣きされたからというわけではなく、やはりわたしは小さい人をかわいい!と思う気持ちはないようだった。圧倒的他人だからかもしれないが。わたしはやっぱり何があっても新しい生命を自分の意志で誕生させるということはないだろう。姪を特別にかわいいとは思えずとも、しかし生まれてしまった以上、どうか健やかに、と祈るほかない。もしかしたらこれから先たのしいこともたくさんあるかもしれないが、どう考えても辛いことが山ほどあるから。まして、他者から「女性」とみなされる以上、かなしいことやこわいことが待ち受けているのはわかりきっている。親ふたりは「女の子」として(そして異性愛者として)育てているが、そこに葛藤を抱えずに生きていく保証はない。姪がどういう人になるのか、わたしにはまったくわからないけど、何かあったときに手を差し伸べてあげられるように、少なくとも親類のなかでわたしだけは何も決めつけずに接したいと思う。この先頻繁に会うわけではないだろうけど、安全だと感じられる大人がひとりでも多くいることは、小さい人たちにとってとても大事だと思うから。姪の歩むこれからが穏やかでありますように、しなくていい苦労はせずに済みますように。

泣きつかれた姪が眠った後、母とわたしと兄と義姉で雑談をしていた。あまりにもくだらないことで大笑いした。兄の変わっていない部分を見てすこし安心したし、相変わらずで笑ってしまう。義姉が泣くほどに笑ってくれてよかった。普段ワンオペの状態になってしまうことも少なくないらしく、ストレスが溜まってしまうみたい。すこしでも気が紛れてリフレッシュできたならよかったと思う。

 

3/13

大好きなバンタンのコンサート、DAY2。

今回ははじめて母と一緒に参加した。母は忙しい人だから、自分の趣味のために何かするような人ではないのだけど、ときどき寝る前にYouTubeでかれらのMVや映像を見て一緒に口ずさんだりしている。こういう緩やかな応援の仕方もありだなぁと思う。それぞれの生活の中にバンタンがいるとは、こういうことなんじゃないか。

今回のコンサートでは、少ないとはいえ、かれらの話していることがわかる部分があった。すごく、すごくうれしかった!すこしずつであっても勉強すればちゃんと聞き取れるようになるんだと、英語学習でも同じようなタイミングはあったけれど、推しの言葉を聞けるといううれしさは別次元だった。とはいえ最初から最後までわかるわけではないから、終了後にTwitterで翻訳してくれた人のtweetを読んだ。ありがたい。

いつかまた同じ空間で会えることを願って、今、頑張って生きてみよう。

 

3/14

いつも通りのはなの散歩。いつもの通りで、今のご時世でめずらしくマスクをせずに歩いているおじさんがいた。ちらっと目があったものの気にせず歩いた。でも、はなが雑草の匂いを嗅いでいる間立ち止まっていると、後ろからその人が通り過ぎて行った。たまたまこっちの方向に歩くつもりだったのかなと思ったけど、曲がりくねって出た通りには反対側の道から行った方が早かった。なんでわざわざこっちから来たんだろうと思ったけど、あまり考えずに散歩を続けた。ところがその数分後、別の道で向かい側からその人が歩いてきた。また会っちゃったなと思いつつ、すれ違って、なんとなく嫌なかんじがしたから小道に入って行った。その道はちょうど坂道になっているから、下ってくる人が小道から見えるのだけど、なぜかその人は上がって行ったはずなのにUターンして下ってきていた。目があった。嫌な感じが増していった。わたしたちはさらに入り組んだ道へ小走りで入った。しばらく歩くとその人が後ろから歩いてきた。さすがにおかしかった。その人がわたしの後ろを歩くには、さっきの下り坂をさらに少しだけUターンして上ってわたしが入った小道に入らねばならなかった。つまり、“たまたま”上っていたはずの道をUターンして下ってきただけではなく、もう一度すこしだけ上ってわたしとぴったり同じ道に入って行ったのだ。それに気づいたときゾッとして、はなをぐいぐいひっぱって家路を急いだ。相手が走ってくる様子はなく、完全なストーカー行為とも言えなかった。でも恐怖を感じるには十分に条件は揃っていたし、人通りの少ないこの町で何かが起きたら、わたしは間違いなく逃げきれないし抵抗しきれない。体格も力の差もどうにもできないし、見るからに弱そうな見た目も変えられない。ただ犬と散歩をしているだけなのに、なぜこんなことを考えてこんなにも怖い思いをしなければならないのか。こういうことがあるから町を何も意識せずに歩くことがむずかしい。定期的に後ろを振り返る。腹立たしい。

 

3/16

ずっと行きたいねと話していたカフェに片道1時間ちょっとかけて母と行く。コーヒーもケーキもおいしい。来てみてわかったけど、カフェの場所が亡くなった曽祖母が最後に暮らしていた施設の目の前だった。まさかこんなところにあったとは。母と進路について話す。母は何も言わない。何かしろとも何かするなとも。あなたの人生なんだからあなたが納得するようにしなさいとだけ言われる。〇〇はやめてほしい、サポートできないと言われることは昔からなく、そのことはこの社会の状況から考えればとても恵まれていることで「特権」なのだろうと思う。ほんとうに家族という形にも関係性にも疲れ果ててはいるが、結局のところ家族によって人生をサポートしてもらっていることに後ろめたさと不甲斐なさと恥ずかしさを感じる。こんな自分には親に感謝はすれど、憎しみを感じる資格なんてないのではないかと思えてくる。やはりずっと言われてきたように「親不孝者」なのかもしれないと思う。自己中心的で甘えていて、冷淡で、何かが欠けていて、思いやりがなく、それなのに口だけは一丁前なことを言う、生意気な人間。誰かに生かしてもらうだけの価値が自分にはないと思う。人間の価値を決めるだなんて愚かだと他者に対しては思えるのに、自分に対しては無価値な人間だと言いきれてしまう。「特権」や立場性の問題についての議論を見るたびに、くるしくなる。自分は「特権」的な立場にいるのだから、こんなにくるしいだなんて誰にも言えないと思ってしまうし、誰にも言えないと思ってしまうことでまた一段とくるしくなる。家族の状況はあまり恵まれてるとは客観的にみても思えないのだけど、それでも苦労なく日本に住み続けられるということ、経済的には恵まれているということ、高等教育を受けていること、日本語を苦なく使用できていること、パスポートが普通につくれること、一人暮らしできていること、大きな病気や障がいは持っていないこと、勉強・研究ができていること、挙げたらキリがないほどにわたしの立っている場所は十分に「特権」的で誰にでも保証されていることではないことを知っている。わかっている、知っている。でもくるしい。すくなくとも経済的に自立しなければならない。そう思って就活的なものを始めた数日後、無理になってしまった。ますます自分が甘ったれた人間だと思えてくる。できないと思いながらもやってしまえる人間ならよかったのに。できないと思ったし、できなかったし、やりたくもなかった。こんなことをやってまでなんで生きてるんだろうと思えてくる。今はとりあえず中断している。母には大学院に残る選択肢を考えてみてもいいんじゃないかと言われる。就活だってどうしたってやらなきゃいけないことじゃないでしょう、と。研究は続けたいが、大学で研究職を得るというのはピンとこないし、そもそも自分にはそこまでの素質と適性がないだろうと思う。自分はほんとうに出来損ないだと思えてくる。いったい何ができると言うのだろうか。自分が一番自分のことをわからなくて、何も選択できない。リミットは近い。どうしよう。

 

3/17 

昨夜は遅くに地震があった。ほんとうにほんとうに、もう懲り懲りだよ。今世界中で感染症が猛威をふるい人が苦しみ死に、戦争が起きて人が殺され、地震が発生して多くの人はかつての災害を思い出しながら一夜を過ごし、ある人は怪我をしたり家を失ったり、またある人は亡くなった。なんて世界だ。ディストピア小説でさえ、せめてひとつひとつ描くだろう。絶望にまみれた世界をさらなる絶望へと陥れる事象があまりにも多く起きすぎている。なんなんだよ、この世界。

今日は美容院へ行った。母おすすめのヘッドスパを体験してきた。とても気持ちよかったけど、整体などの施術を受けたときにたまになるように、心拍数が上がって若干吐きそうになった。血行が急激によくなったりすると具合が悪くなりやすい。身体が固まりすぎているということなのかもしれないけど、気持ちいいだけで終われないのがかなしい。体を横にしていたから美容師さんに悟られなかったはず。座ったり立ったりしているときじゃなくてよかった。髪の毛を乾かしてもらっているとき、担当の美容師さんが同い年だということを知る。現在大学院へ通っていることを話したら、「じゃあ社会人まであと少しですね!お勉強がんばってください」と言われた。他意はないのかもしれないが、社会人にならなければ未熟だと言われているようでしんどかった。経済的な利潤を出さないかぎり、こうして肩身の狭い思いをしなければならないのだろうか。美容院は苦手だ。

 

3/18

午後から雨予報だったから、午前中のうちにはなの散歩へ行く。途中から小雨がパラついてきたからやや小走りで散歩をしたけど、はなは不満そうだった。ゆっくり長く行きたいんだよね。午後は勉強を進めながら、夜ごはん用のピザ生地を仕込む。発酵させている間に頼まれていた買い物へ行く。ピザは三種類焼いた。発酵時間を含めると時間だけはかかるけど、ピザはほんとうに簡単でおいしい。母からも好評だった。うれしい。

最近漫画にばかり逃げてしまう。自分が生きる世界がいやで、自分の存在もいやで、それらを掻き消してくれる物語ばかりを麻薬のように摂取している。ずっと逃げてばかりいる。物語の世界へ消えていきたい。半透明な存在になれればいいのに、とそんなことばかり考えている。

 

3/19

今日は3匹の姿をたくさん写真におさめた。フィルムだからうまく撮れているかわからないけれど、なるべく自分から見えた3匹を日常の姿のままとどめておきたかった。同じ時を刻めば刻むほど愛おしさは増すばかりだけど、いつかは来てしまうその日を考えてはずっとメソメソしてしまう。今できることは、可能な限り多くの時間を共に過ごすこと、豊かな瞬間を焼き付けておくこと、そして見逃してしまいがちな一瞬一瞬を形に残しておくこと。どんな姿であっても、この世界でもっともうつくしい生きものたちだ。あなたたちがいるから、なんとかあと1日生き延びようと思える。毎日その繰り返しだ。いなくなることばかりを考えないで、共に過ごせる限りある時間を精一杯に慈しみみたい。

毎日かかってくる父の電話に嫌になってきてしまう。仕方がないことだとわかっているのに、どうして毎晩この時間にと思ってしまう。そう思ってしまうことで、また自分がとんでもなく冷たい人間なんだと思い知らされる。周囲の人への心配はありつつも、本人に対しての心配が1ミリもないということ。関心がないこと。どれだけ冷血漢なんだと罵られても不思議ではないほどに、感情がない。こうなった理由と過程があるけれど、そうであっても自分が思いやりがなく人間としてなにか欠けているんじゃないかと思えてくる。わたしもいろんな悪しき価値観を内面化してしまっているんだなぁ。

いくら考えても鬱々としかしてこない夜がある。今日はそんな日だ。読みかけの小説を読みながら、早めに休もうと思う。傍でももが眠っている。きっと大丈夫。

 

3/20

夜中の天気とは打って変わって、快晴。昨夜の雷に怯えていたはなも、もうすっかり大丈夫みたい。午前中にはなと庭でボールで遊ぶ。土間で熟睡していたチビも網戸を自分で開けて傍に寄ってきた。右手でチビを撫で、左手でボールを投げる。穏やかな朝だ。

昼ごろ、墓参りに行った。偶然親の仕事関係の古い知り合いに母が出くわしてしまったところを目撃し、ちょうど少し遅れて行ったわたしはバレないように影に隠れて話が終わるのを待った。こういうところ昔から変われていない。というか、昔よりもひどくなった。古い知り合いにはあまり会いたくない。今何をしてるのかとか根掘り葉掘り聞かれるのがとても苦手だ。自分が何をしているかによって、自分自身が評価されてしまう。

昼過ぎ、いろいろと買い揃えないといけないものがあって、その手伝い要員として母と隣町まで買い物へ行った。帰宅時間に神経質にならなくていいのがとても開放的だ。ひとりでいるときには当たり前になっていることでも、実家に帰るとできなくなってしまうことや、制限のかかることが多い。今だけの時間の使い方かもしれないが、とてもうれしい。幼い頃、なかなか出かけることができなかった家庭ゆえに、ほんのすこし帰宅時間が遅くなるだけですごくわくわくしたことを思い出す。帰り際、図書館で本の返却と予約していた本を借りた。帰るまでに読めるだろうか。

 

3/21

夜中目が覚めるとももが枕元ですやすや眠っていた。昨晩寝るときにはいなかったから、わたしが寝てから上ってきたんだと思う。いつも左側にくるからか、わたしの体も覚えてしまったようで、いつも無意識に左手がももの体に添えられている。もも専用の枕です。くっつきあって再度入眠。静かな呼吸音とあたたかさを感じる。

ここ数日、親のヘッドホンを勝手に拝借している。3、4年くらい使っているairpodsの充電が保たなくなってきたからちょうど買い換えようと思っていて、ノイズキャンセリングがどんなもんかと気になっていた。ちょうどこのヘッドホンがノイズキャンセリングできる仕様だったから試してみたんだけど、ほんとに騒音が聞こえなくなって吃驚した。あまりの感動で、家にいるときもつけている。結構音には敏感なほうだから、これで日常の音によるストレスを軽減できたらいいな。でも、ヘッドホンもいいけど、自分で買うならイヤホンかな。夏は絶対に暑い。

少し落ちつつあった読書ペースが復活しつつある。読書はたのしい。でも本ばかり読んでないで、論文も読み進めてペーパーを書かないと。論文の要点整理が面倒で、つい後回しにしてしまう。後回しにするから、もう一回通しで読まないといけなくなる。procrastinatorの悪い癖だ。

 

*1:cf: 鶴見俊輔「言葉のお守り的使用法について」『鶴見俊輔集 3 (記号論集)』筑摩書房、1992年。