2022/8 生活を噛みしめる

7月のおわりにマームとジプシーのcocoonを観に行った

8/10

京都にいるときも帰省してからも早起きが続けられていて、よい。夜型にはなりきれないのに、つい夜更かししてしまいがちだから、最近はいい傾向なんだと思う。朝からしっかり体を動かして、頭も動かして、手も動かす。院生という立場ゆえに、自分の研究はもちろん、自分の生活もしっかり自分の意思でコントロールしなければならない。一見自由だけど(実際自由なんだけど)他力本願では何もなし得ないので、せめてこのくらいは自力でがんばっていきたい。

午後から県立図書館へ。30分越えの運転は春以来だけど、まったく支障なく、ルンルンでドライブできたのでよかった。来月、ひとりで高速乗れるだろうか。図書館では予約していた本と、図書館で読みかけた本を借りてきた。ひとり5冊なんて少ないよぅと思いつつ、京都から持ってきた本もあるから実際は読みきれないと思う(バトラーが半分以上なので、なおさら)。ましてや今夏は論文を書くことが大きなミッションなので。2章分は書きたい。

夕方からむーちゃんとキャッチアップ兼ポッドキャストの収録。今回は村田沙耶香『信仰』の読書会をかねていたけれど、だんたんと、よい具合に話がふくらんでいって、とてもいい時間だったと思う。自分の声がうまく通らないこと、滑舌が悪いこと、声が小さいことがずっとずっとコンプレックスで、ふいに自己嫌悪に陥ってしまうことがあるけれど、収録を通して、すこしずつでも改善と受容ができるようになればいいなと思っている。今回は意識的にはっきりと話すようにしたり、言葉尻を濁さないようにした。でもあとで編集しているときに自分の声を聞いてみたら思ったよりも滑舌悪くて微妙にショックだった。話すことに向いている声がほしい。

 

8/11

最近できた個人経営のお菓子屋さんのイートインを母が予約してくれたので、『まっくら』を携えて、向かう。ちまちまっとした、でもそれぞれに美味なスイーツプレートをいただく。おまけで黒胡麻プリン(ミニ)ももらってしまった。おいしくて、幸福。このお店は田舎にしては珍しく、オーガニックの食材を極力使ったこだわりのお店。たまたまだけど、家族でときどき行く隣町の懐石料理店で以前働いていた方がオープンしたお店で、わたしが行くこともとても快く思ってくれているようだ。そろそろ帰ろうか、と思っていたタイミングでお菓子をテイクアウトしにきたお客さんがやってくる。会計時に「この間自然食品のお店に行ったら、そこのお店の方もお客さんも誰もマスクしていなかったんですよね。やっぱりマスクはしないんですか」と。そういえばと思って、お店の方をちらっと見たらマスクをしていなかった。「そうですね。コロナは風邪と同じなので。どちらかといえば熱中症の方が怖いので、マスクは外してます。そのかわり、免疫をあげるようにしています」と話していた。それぞれに思想があることはわかる。わたしも正直なところ、ワクチンはもう打ちたくない。未知のものに対して「絶対安全」といえるものがない中、安全性を担保しようとしてくるものに対して多少の抵抗感や疑いを持つのはおかしなことではないのではないか。ましてや日本の近現代史において公害や薬害の歴史を考えてみれば、リスクの意識を持っていた方がベターな気もする。ただ、風邪と同じなわけはないだろと思ってしまう。マスクをすることが安全を保証するわけではないにもかかわらず、マスクをせずにそういう発言をしてしまう人を、少しこわい、と思ってしまう自分がいることに気づく。陰謀論者か?と簡単にカテゴライズして排除することは簡単だろうけど、そうはしたくないと思う。『信仰』を読んだ直後だからか、余計にこういう自分の反応や思考自体がある種の「信仰」なのかもしれないと思ったりする。なにがおかしいことで、なにが「常識」なんだろうか。

 

8/12

祖母の命日。あれからの日々があっという間過ぎて、もう7年も経ったのかとびっくりしちゃう。この3年ほどは実家での滞在を自室ではなく、祖母が使っていた部屋を借りている(単純に設備がよく、広く、静かだからという理由)。7年前の今日、祖母はゆっくりここで冷たくなっていったんだなと思いながらベッドでごろんとしていた。命が尽きてしまった以上、ほんとうは何を想い、何をしたかったのかは推論でしかなく、本人亡き後に勝手に代弁することがあってはならないと、今もなお強く思う。あの時期、親族や関わりのあった人たちが口々に祖母の人生の総括や評価をしていて怒りを覚えたことを思い出す。それは相手が誰であれ、失礼だ。本人のことは本人にしかわからず、残されたわたしたちにできることは、わたしたちと祖母の関係を語ることだけだろう。関係性を語ることのみ、しかも主観的な語りのみが許されている。弔いは総括や評価ではなく、思い出を手繰り寄せることだと思っている。饒舌な語りは、沈黙を沈黙として抹殺するだろう。

「そうたいなあ、ありゃ何年ごろじゃったろか」おばあさんが記憶をたどろうとしました。そのとき、どさりと一抱えの菜を土間になげいれて、この家の主がかえってきました。(……)おばあさんの口が、風におちた洗濯物のように、ふいに、ととのい、そしてかわきました。(森崎和江『まっくら—女坑夫からの聞き書き』)

 

8/13

台風が近づいているらしい。わたしのいる地域はおそらく今夜が大荒れだろう。日が沈んだ頃、きっとはながパニックになってしまうだろうなと朝から想像する。どこか遠くで雷がなっただけで反応して、あらゆることを放棄して「逃げ」の体勢に集中する。どうにかしてやれたらいいけれど、雷ばかりはどうにもできません。天気予報を見ると、夕方から雨が強くなりそうだったので、昼食を済ましたら散歩に行こうかと思いながら料理していたけど、すでに降り始めてしまった。ささっと食べて、小降りになったタイミングで出発。1時間ちょっと散歩をして帰宅。湿度がハンパなく上がっていて、暑くはないけど、洋服が身体にまとわりつく。気持ち悪い。シャワーを浴びるのは面倒なので、熱いお湯に浸したタオルを固く絞って身体をふき、着替える。その後、しばし読書とポッドキャストの編集と日記。

今日はお盆の入りだ。お墓参りもした。仕方ないことだけど、わたしのなかでは信仰と先祖崇拝と死者の弔いはそれぞれが別個として存在しているので、墓参りや迎え火はなんだか虚無だ。両親は勝手にわたしにも信仰心があると思っているので、実家にいる間は擬態に徹する。なかなかにしんどく、罪悪感も抱く。死者を弔いはすれど、信仰心はないし、会ったことも話したこともない先祖(ゆうて、三世代前くらいしか親も名前出さない)への感情、ましてや崇拝なんてしないわ。先祖の話は血縁主義ごりごりってかんじで苦手。親の信仰についての話も心を無にして聞いている。しかし、環境上、まったく無視するわけにもいかず、擬態にも無理が生じる。最近某新興宗教の二世問題が世間で取り沙汰されていて、親も二世の(元)子どもたちへの同情と社会の変革を口にする。ただ、わたしにはまったくの他人事だとは思えないのだが、親はそう思っていない。あくまでも他人事としてニュースを眺めている。わたしのような環境の子どもにも信仰の自由はあって然るべきだし、親であっても自らの信仰心を押しつけてはならないはずでしょう。生活習慣として組み込まれた信仰と、それが新興宗教でなかった場合の息苦しさはまだ誰にも受け止められていないように思う。