2021/8/16 大切で、今は会えない人のこと

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大学を卒業してからも大学時代の友人とときどき長文のLINEのやりとりをしている。彼女と出会えたのは本当にラッキーだったとしか言いようがないし、たまたま出会ってこうして今もなおやりとりのできる友達がいることは幸せだなと、彼女のことを思うたび実感する。

 

彼女と出会ったのは大学3年生のときのゼミだった。わたしはちょっと変則的な授業の取り方をしていて、そのゼミは聴講という形で受けさせてもらっていた(つまり、2つのゼミに顔を出していた)。だから、もしわたしが規則に則った仕方でしか授業を受けていなかったらこうして仲良くなることは絶対になかったはずだ。というのも、お互いに積極的に人と関わる方ではないし、もし講義の授業でたまたま近くに座っていただけだったとしたら、何も話さずに素通りしていただろうから。

 

最初に話しかけたのはわたしだったと思う。なぜそう思ったのかは未だにわからないけど、彼女が発する言葉、話し方、聞き方を見ながら、なぜか「こちら側の人間だ!」と思ってしまったし、「あ、この人は自分の話す言葉をすごく注意深く選んでいるな」とも感じた。だからかな、ちょっと気になったし、話してみたいと思ったんだ。でも、内気で人見知りしがちなわたしは彼女とちゃんと話すまでに半年の時間を要した。何をきっかけに話しかけたらいいのかよくわからなかったから。同じゼミで過ごして最初の夏休みを経た後、夏休み中の出来事をネタに今度一緒にごはんに行こうと誘った。

 

その後も何度かごはんやお茶へは行ったけど、今考えてみるとそんなに回数は行けなかったし、一緒に遠出することもできなかった。彼女のおかげで大学3年生という時間がとても楽しいものになって、きっと4年生はもっとたくさん話して、旅行もして、同じ時間を共有できるだろうって思ってた。彼女が東京に残らないことを知っていたから、最後の1年間はたのしい思い出をなるべくたくさんつくれたらいいなと思っていた。だけど、まさかのまさかで最後の1年間は大学に通うことができなくなって、お互いに翌年以降は東京にいないことが確定していたから、夏頃には東京の家を解約して、互いの地元に戻ることになってしまった。日常の雑談もなくなり、卒業旅行にも一緒に行こうと話していたのにそれもおじゃんになった。

 

そんなこんなで、わたしは京都へ、彼女も自分の地元へ戻って今は過ごしている。お互いにLINEの返信が遅いほうだけど、数日おきに長文LINEをしたり、1、2ヶ月に1度のzoomを楽しんでいる。本当は夏休みにはどちらかの住んでいる地域にいければと思っていたのだけど、感染状況的に到底無理な話で、彼女はワクチンを打てていないから余計に実現不可能な夢物語だった。いつも早く会いたいねって話している。今もありえたかもしれない過去を想像しては、悲しくなる。今のところの計画では、お互いがもう同じ街に住むことはないと思う。だからこそ、なくなってしまったあの1年が今も恨めしい。

 

たいていのフィクションでは、友情には終わりがつきものだというメッセージが仄めかされている。たとえばどちらかが結婚したり、子供を産んだりして。あるいは学生時代は共通の話題が多かったのに、卒業後の進路や仕事内容が異なることですれ違っていくとか。わたしはいつもそういう物語に絶望してきた。わたしは結婚しないし、子供も産まないし、そもそも他人に恋愛感情を抱かない。どちらかというと、異性のパートナーと結婚して、おそらく自分が改姓して、子供を産んで母親になる、という未来予想図の方がわたしは描きにくい。どれに対しても拒否感があるからだ。でも、フィクションの世界でも、現実の世界でも、こちらのほうが圧倒的に「普通」の人生の歩み方だとされる。そのことにずっと息苦しさを覚えきた。終わらない、緩やかにつながり続ける友情をもっと描いてほしいし、そういう未来もあるのだと肯定し続けたい。そして、それだって十分に幸せで、最高な人生だと思う。結婚した方がとか、子供がいた方がとか、そういう声は何度も聞いてきたけど、別にそれを選んで幸福を感じる人がいるのと同じように、それを選ばないことで幸福を感じる人もいるのだ。

 

わたしは彼女のことを、長くゆるやかに友人関係を続けられる人だと思っている。そしてそれは彼女もそう思ってくれているのだと思う。わたしたちはただ共通点があって仲が良いというだけでなく、根本的な価値観がとてもよく似通っている。友達という存在がいかに大切で、それがどれだけ各々の人生にとって大事にしていきたいものなのか、そういうところがとてもよく共有できている。だからきっと、30代も、40代も、わたしたちらしくこの関係性を大切にしていけると思う。そうやって、それぞれの未来の一部分にお互いの存在が在ることは、間違いなく今のわたしを支えてくれていて、生き続ける大きな糧となってくれる。