2021/8/26

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(今はもう閉店してしまったソウルのカフェ)

今日はあまりにも暑くて、正直へばっている。気温が、というよりも湿度が尋常ではなく、除湿機もすぐに満タンになってしまう。夕方以降もすっかり疲れ果てて、なんだか1日体も頭も使い物にならなかったな。

 

・最近はペットたちの世話に勤しんだり、庭に住み着いてしまった猫たちの里親探しで日々が少し忙しなくなってきている。飼っている猫と庭に住み着いている猫の折り合いが悪く、喧嘩をしてお互いに怪我をしてしまったので病院へ連れて行ったり、薬を毎日細かく刻んでなんとか食べ切ってもらおうと工夫したり、トイレをきれいにしたり、毎日の散歩に連れて行ったり、ボールで遊んだり。そしてそれらと並行して庭の猫たちの相手をしながら、人慣れしていない子猫の方もなんとか慣れてもらおうと必死だ。いい里親さんが見つかるように、なるべくよく撮れている写真を載せたいと思って、合間合間に外に出てシャッターチャンスをうかがっている。1人でいる時よりもずいぶんと自分以外のために割く時間が増えた。ペットたちは本当にかわいいけれど、3匹もいるとそれぞれのお世話やお金もかかることも事実ではある。しかもわたしはペットたちに限ってはかなり心配性だから、毎日体調の変化がないかよく観察している。昔飼っていた犬が病気になったとき、もっと早く見つけていれば最期も変わったのか?と思ってしまって、最期まで最善をつくしたとも言いがたく後悔が残っているからこそ、今のペットたちには結構神経質になってしまっているのかもしれない。何よりも、高齢になってきたからこそ、いつ何が起きてもおかしくない、とも思っているのもある。ペットは本当に本当にかわいいけど、お金に余裕があって、一人暮らしではない人が飼うのがベストだよなぁって改めて思う。

 

フェミニズムについて、最近よく考える。というのも、最近Twitterでは自己肯定感の高い(あるいはそういうパフォーマンスなのかもしれない)フェミニストが多い(のか単に可視化されているのかはわからない)と思っていたから。それはそれで本当に素晴らしいことだなと思うんだけど、翻ってわたしはといえば、ぜんぜん肯定感はない。特に自分に誇れるようなものなんてないと思っているし、容姿に自信だってない。けれど、卑下しているわけでもない。だから今後も自分のことを愛するとか、自分に自信を持つとか、そういうふうになりたいわけではない(なったらなったで別にいいのかなとは思うけど、それを目指しているわけではないという意)。わたしはわたしの行う行動の影響力や発言の加害性というものは本当によく考えるけど、自分単体に対してあまり感情を持っていない。割と、無。わたし自身、性格が明るいわけでは全然ないし、多人数で話すことも、多くの人と知り合うことも苦手で、「みんなで一緒に!」という雰囲気は正直得意じゃない。だから大きな声で「連帯しよう!」「みんなで手を取り合おう!」と言われると正直怯んでしまうし、ギャルカルチャーも自分にとっては遠いもの、というか苦手意識があった。だから今、そういうフェミニズムクィアコミュニティの雰囲気は、それはそれで今まで取り残されてきた人を包摂してくれるコミュニティではあるけれど、わたしはそこには合わないだろうなって気がしている。決して明るくはないけど、それでも仄かな熱い炎としてのフェミニズムもありうるだろうと思う。いろんな形のフェミニズムフェミニストがいていいっていうことがもっと認識されたらいいな。