2024年ベスト

あまり1年のベストって書かないし共有したことないんだけど、なんとなく今年は気分が乗ったので書いてみる。例に漏れず、今年もたくさんの漫画に助けられました!本のベストは、うっかり自分の研究バレ(すなわち本名や所属バレ)を防ぎたいので研究に直結しそうなテーマの本は除外してる。映画やドラマはあんまり観れなかったな。

 

 

エリザベス・ミキ・ブリナ(石垣賀子訳)『語れ、内なる沖縄よ—わたしと家族の来た道』みすず書房, 2024.

沖縄で育った母と、ベトナム帰還兵のイタリア系アメリカ人の父のもとに生まれた著者の回想録。ひとりひとりの身体に流れる歴史性というものを、こういう形で言葉にしていくことができるのかとハッとした。白人文化のなかでアジア系として生きる葛藤と同時に英語を喋れない母への蔑視。父親の愛情と支配。沖縄、日本、アメリカの不均衡な関係性が家族という領域にもそのまま転移している。戦争や占領の記憶がそれぞれの身体にはりついているようだった。とにかく、すごかった。この本と出会って、読むことができてよかった。

 

ロビン・ディアンジェロ(甘糟智子訳)『ナイス・レイシズム—なぜリベラルなあなたが差別するのか?』明石書店, 2022.

自分の身の振り方を何度も考えた。日本における日本人というポジショナリティについても十分応用可能。わたしもまだまだアップデートしていく必要がある。

言葉には政治性があり、それゆえ誰を尊重し、誰が援助を受けるに値するかをめぐる絶え間ない闘争の場となる。使われる用語は、支配や統制の形態を暗黙のうちに承認し、常態化させることもあれば、それに介入することもできる。 特に人種にまつわる用語は、歴史的な力関係が社会の主流に対して可視化され、構造的な不平等に対する認識が深まる中、変化し続けている。(21-22)
自らの言語、思想、感情、経験を各々の自己の「内側」に存在するものとみなせば、自己は社会的・相互関係的なものではなく、本人以外、誰もアクセスすることのできない非社会的・私的なものとなる。 つまり経験は脱政治化される。「私の内面の世界には誰も立ち入れない、だから私個人の経験がとやかく言われることはない」のだ。しかし自己という概念は、それに意味を与える社会・政治的な力の外にあるわけではない。 経験、言語、感情もそうだ。白人であることは集合的な経験である。私が白人なのは、社会的に割り当てられた「白人」と呼ばれる集団の一員として、他者によって条件付けられ、それに応じた扱いを受けるからだ。白人であることは共通体験であり、それは白人でない人々との関係性においてのみ成立する。白人がこれに挑戦するためには、他の白人と共にやはり集合的な経験として行うほかはないとレスマーは忠告している、つまり、私たち白人は、白人同士で反レイシズム・コミュニティを組織・構築する必要があるということだ。(233)

 

ヤマシタトモコ『ほんとうのことは誰にも言いたくない』フィルムアート社, 2024.

去年だけど、『違国日記』の完結、おめでとうございました。何年もの間、苦しいときこそ手に取る作品でした。ヤマシタトモコ作品でもうひとつの大切な作品が『さんかく窓の外側は夜』で、そのことについて書かれていた部分が「だから好きだったんだろうな」と思う文章ばかりだった。

この話にはいろいろなものが詰まっているのですが、その一つが家族主義を否定したい気持ちなんですよね。家族だからどうのこうのというのがものすごく嫌いなんです。家族だから愛さなくてはとか、家族だから信じられるとか、それこそ家族は良いものだとか、自分の作品で諸手をあげて肯定したくない気持ちが強すぎて。良い家族もいるし、悪い家族もいるから。家族のせいでひどい目に遭ったり、傷ついたりしている人を見ると、本当に腹が立って仕方がない。家族を愛する気持ちを否定したいわけではなくて、その根拠が血のつながりにしかないのだとしたら、それは合理的ではないと思うし、血のつながりだけに頼って固執してしまうのはつらいことの方が多いように考えています。だから、かたちを変えながら「家族なんて捨ててもいいよ」と描きつづけている気がします。(284-285)

 

藤高和輝『バトラー入門』筑摩書房, 2024.

それから、もうひとつ—「男性哲学者」の話は、極力控えよう。彼らがいなくたって、バトラーの話ができるんだってこと、身をもって示そうじゃないか。

冒頭からかっこよすぎ!非常に読みやすい語り口調(かつクィアな方法)で、「『ジェンダー・トラブル』の一ファンが書いたファンジン」と位置付けながらも、いままで躓いていた背景の文脈を丁寧に押さえながら話が進められている。読むと元気が出てくる不思議な入門書。

 

うみ『うみかじ』3-10号

存在を知りながらも手に取る機会を得ていなかったzine。東京に行ったときにエトセトラブックスで目にし、すばらしい内容に感激してメッセージを送ったところ、在庫のある号を送ってもらえた。今年、出会えてよかったし、たくさん送ってもらって直接周りの人に広められたこともよかった。来年は個人的な集まりでいいから『うみかじ』の読書会をやりたい。たぶん、そうやって読んだことを話して、つながりを広げていくことがとても重要になるzineだと思う。

昨年12月にはじめて宮古島に来た時よりも、日常生活と基地・軍隊の近さや、そのなかで生活を送り続けないといけないことの痛みをひしひしと感じる。痛みはこの瞬間だけではない。何百年にもわたって放置され続け、構造として強固になりつづけているものだ。空間と時間を分けて語ることはできない。今に至るまで放置した責任、継続する植民地主義、時間とともにつみかさなり続ける痛み。ひとつひとつの重さこそが、宮古島を歩いた後のわたし自身に問われていると感じた。(6号、p.16)

これまで、性差別主義、人種主義、植民地主義などを、区別して考えていたと気づいた。だが取り返しのつかない痛みを前にして、それぞれを分けていてはとりこぼすものばかりだ。沖縄にあって、ひとりの身体において、暴力は遍在し、重なりあう。むしろ、あらゆる暴力が補完するように手を取り合い、ひとりの尊厳を死の淵まで追い詰めてはいないだろうか。暴力の重なり合う中で、わたしの身体がある。(9号、p.13)

 

高秉權『黙々—聞かれなかった声とともに歩く哲学』明石書店, 2023.

一昨年くらいに読んだ『哲学者と下女—日々を生きていくマイノリティの哲学』に続いて二作目。間接的にというか、著者と知り合いの人がわたしの知り合いなので、いつかお話を聴く機会に恵まれるといいなと思う。今作はテーマは違えど、自分の日々の思考と直結してくるため響く言葉が多く、何度も反芻したい文章ばかりだった。

生を諦めるのか、生きぬくのか。わたしは人文学の勉強の領域はここにあると考える。どのようにであれ生きぬかなければならない、それも「よく」生きぬかなければならないという自覚、生に対するそのような態度、そして姿勢のようなもののことだ。(23)

他者に責任をもって近づくということは、他者がすでにわたしに近づいてきていることを承認することだ。つまり、他者が声を出しており、ただ私に聞こえていないことを認めることだ。それゆえ責任とは、たんに「聞くことができること」を通してのみ成立するのではなく、「聞こうとすること」から成立するということがわかる。 単純に他者の言葉を聞くことのできる聴取能力ではなく、他者の言葉を聞こうとする意志、欲望、努力だということだ。(41-42)

わたしの苦痛は他人のものになりえないとよく言われる。苦痛とはあまりにも固有のものだから、誰もその苦痛を持ち去ることはできないという意味だ。その人の苦痛を感じようとするならば、その人の身体を持たなければならない。不可能なことだ。しかしその人の苦痛がわたしの苦痛を呼びおこすことは可能だ。 一人がふるえながら自分の過去を呼びおこす時、似たような傷を持った横の人も身体がふるえるのを感じる。その人の身体が過去へ戻る時、私の身体もしきりに過去へ戻ろうとする。わたしの身体はその人の身体で生じたことを推しはかることができるし、予感することができる。(124)

 

百瀬文『なめらかな人』講談社, 2024.

この記事を読んでから気になっていた百瀬文さんのエッセイ本。

このわたしを外形的にわたしたらしめている、猫っ毛の髪、重たい奥二重の瞼、薄い唇、頬に残った水ぶくれの跡。わたしがわたしであることの、それらの愛おしい証明は、やがて炎の中ですべて失われるだろう。骸骨が持つ恐怖の本質は、おそらくはその匿名性なのだと思う。今、偶然居合わせた誰かの顔をべろっとめくった向こうにある頭骸骨と、自分の頭蓋骨の違いを、見分けられる自信がない。それはわたしに違いないが、それがわたしであるということがわたしにもわからない。この体で毎日を生きながら、なぜそんな状態に耐えられているのだろう。(25)

「産まない」という状況は、つねに「産む」を「しない」という否定文で語られる。「しない」を使わずにそのまま肯定文で説明できるものごとは、ある種社会の中で自然化されていると言ってもいいものごとなのかもしれない。そもそもそういった二分法でしかお互いの身体のことを語れないということ自体が、なにかわたしたちの健康を静かにむしばんでいるような気がしてしまう。(136)

そもそも役者の仕事とは、当事者でないものたちが、かつてそこにいたかもしれない誰かの身体を想像し、あらわすことでもある。当事者が語ることが常に真実である、ということすら疑わしい。当事者自身もある意味、社会の中で要請される当事者を演じさせられたり、あるいは無意識に演じようとしてしまうことがあるからだ。あるいは演劇とは、自分の身体と「誰かの身体」のあいだに常に埋めがたいズレがあることを受け入れた上ではじまる、了承の芸術なのかもしれない。(140)

 

間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』早川書房, 2024.

あのときのわたしをすくいにいくことはできないけど、せめてできることとして、わたしはいまと、これからうごけなくなるまでのじぶんをすくいたい、じんせいでたったひとつでいいから、わたしはまちがってなかったとおもえることをすることで。

ひらがなと漢字の使い分けがこういうふうに物語に活きてくる読書体験ははじめてだった。内容についてはポッドキャストでいろいろ喋ってる。

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漫画

漫画は読みすぎているし、ベストもなにもないくらい良作が多いのだけど、下半期読んだもの(ずっと継続して読んでいるものも含む)を中心にいくつかピックアップしてみる。出版年は最新巻のみ。

林史也『煙たい話』光文社, 2024.

待ちに待っていた新刊。今までずっと電子で買っていたけど、カバーの色彩の美しさに惹かれて5巻は紙で買ってみた。実物を見ると、カバーイラストは青の出方が本当に綺麗でうっとりする。カバーをはずした表紙のイラストと対になっていることに気づき、これまたいいなぁとしみじみする。

いつも思うけど、感情の描写が豊かだなと思う。感情の言語化というよりも、その感情を抱くときの場の空気感や、言葉を飲み込む感じが。身体のどこにフォーカスが当たるかによって、その人物の抱いているであろう感情が変わってくる。身体の部位だけじゃなく、どこを見ているのか、どちらの方向に歩き出すのかによっても読んでいるときに受け取るものは異なる。言葉以上に感情を伝えようとしてくる。セリフが多いわけではないから漫画の印象としては静かに、淡々としているんだけど、1コマ1コマから想起されるイメージはまさしく波というか、海のように膨大。5巻をすべて読み終えてから改めて帯の言葉に目を移すと、グッと胸に迫るものがある。

5巻は終わり方が結構しんどくて続きを連載で読みたくなるけど、漫画は単行本派だから6巻が出るのをゆっくりと待とうと思う。たぶんこれからもずっと読み続けるだろう大切な作品の一つ。

 

松虫あられ『自転車屋の高橋くん』リイド社, 2024.

電子で漫画を読むときに利用しているサイトで1-3巻が無料で読めたのでなんの気なしに読んでみたら、繊細な心情表現がすばらしくて久しぶりに大人買いしてしまった作品。

 

モクモクれん『光が死んだ夏』KADOKAWA, 2024.

5巻くらいから加速度的に物語の核心に迫りつつあり、おもしろさに拍車がかかっている。ロマンスが軸ではない物語でクィアが普通に生きていることがうれしいね(作者がきちんと明言してくれていることもうれしい)。6巻は絵の構図と細部の絵の上手さが際立っていて、その分怖さも気味悪さもだいぶ増し増し。

 

和山やま『女の園の星』祥伝社, 2024.

だーいすきな『女の園の星』の新刊も、もう言わずもがな、おもしろくてケラケラ笑い転げた。他者を軽んじない、日常の細かい笑いを描くのが上手すぎる。こんなに毎回おもしろくていいんですか。このおもしろすぎる発想はいったいどこから来るの。4巻は最後の卒アルの話が一番好き。エセ関西弁の「なんでやねん」を口に出したくなる。この職員室楽しそうすぎて、わたしもここに就職させてくれよ。

 

たじまこと『アキとハルはごはんを食べたい』(2022)『アキとハルはごはんを食べたい おかわり!』(2024)竹書房.

セールになっていたときに一気に『おかわり!』まで読んでしまった作品。ルームシェアをする二人の日常と食卓を描いた作品。生活を共有していくなかで芽生える感情が、相手への好意のベクトルとしてわたしにもすごく理解ができるものだったのもこの作品の好きポイント。しかもこの二人の関係性が「二人だけ」の関係性として閉じられていないのもよかった。二人が二人でいるための、二人以外の他者との関係性は大事だと思う。二人だけの世界なんて怖すぎるから。よしながふみの『何食べ』に通ずる良さだったな(比較や序列化の意図はなく、近しい系譜に位置付けられるということ)。読んでると食べたくなるので、レシピがあるのもよき。

 

戸ヶ谷新『2世と器』祥伝社, 2024.

描いてくださって、ただただありがたかった作品。この作品に流れるテーマ性があまりにも自分事すぎて、ぐわんぐわんに揺さぶられてしまった。まだまだ明言しない限りは透明化されやすいAspec。近年はようやく表象されるようになってきたけれど依然としてAroaceの表象が多く、そこにかかわる不名誉なイメージもついてきていると感じる。そんななか、この作品はAroaceではないAroを正面から描いてくれたことがうれしかった。そして親密な関係性において、互いのセクシュアリティが同じじゃなくても関係性は取り結べるという表現も心強かった。感極まって、生まれて初めてファンレターなるものを書いた。

あまりによすぎて、ポッドキャストでもおしゃべりしました!(このエピソードはたくさん聴いていただいているみたいで、ありがたい。よかったらみなさんの感想も送ってください)

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音楽

多ジャンルのよい音楽と一年を走り抜けた。

米津玄師 - さよーならまたいつか!

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まさかの紅白出場決定!びっくりだ。ひさしぶりにテレビの前でしゃんとしようかと。(それとは別にいいかげん紅白という括りをやめてほしい)

 

jo0ji - 不屈に花

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jo0ji - ワークソング

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この二人は年明けからライブに行くことが決まっている。とくに今年下半期がんばったご褒美だ。生で聴けるのがいまからたのしみ!

 

羊文学 - tears

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ITZY - Imaginary Friend

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Måneskin - GOSSIP ft. Tom Morello

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緋八マナ - 天才(歌ってみた)

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AURORA - Runaway

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The xx - Angels

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ドラマ・映画・そのほか映像作品

『虎に翼』

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言わずもがな、すばらしかった。半年間毎日寅ちゃんが闘っていたことが日々を生きのびる手綱になってくれていた。ありがとう。多くの人と同様に、わたしもよね×轟の関係性が好きだった。まあ、なんつってもバディものが好きなもんで。

 

ハイキュー!!—ゴミ捨て場の決戦』

haikyu.jp

今年の上半期はゴ決のことを何度も反芻しては良質な涙を流していた。ひたすらSPYAIRの「オレンジ」聴いていた時期があり、今年聴いた音楽の4位にまで上り詰めていた。

 

『骨を掘る男』

closetothebone.jp

沖縄戦の遺骨収集を40年以上つづけてきた具志堅隆松さんのドキュメンタリー。具志堅さんについては何年か前に偶然知ったのだけど、ドキュメンタリー映画が制作されているとは知らず、情報を見つけてすぐに観に行った記憶がある。ある人が存在したという事実そのものさえも消されてしまうという出来事の後、いかにその人の存在に近づくことができるのだろうか。日々考えていることの延長線でこの映画を観た。名前も姿形もわからない人を、存在したのだと確信することはできるのか。その人たちを弔うことはできるのか。そのときの弔いとはいったいなんだろう。ずっとずっといろんな問いが頭のなかををこだまする。具志堅さんは、東日本大震災津波に流された少女をの遺骨を見つけることにも尽力している。たった20分で大腿骨が見つかって、びっくりした(動画はググればすぐ出るよ!)

メモ:名前を呼ぶことはその人が確かに存在したのだと確かめる行為。見えないものを見つづけるために見えるものを見つづける。

弔いの話で思い出したのは、NOOKのテレビノークの永井玲衣さんのゲスト回。弔うことについて一緒になって考えていた。

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『関心領域』

happinet-phantom.com

観てからだいぶ時間が経ったけど、音響がすごく印象に残っている。とにかく音の演出が怖かったという記憶。映画は友人と観たんだけど、鑑賞後に残った謎が多くて、ヒントになりそうな記事やインタビュー動画を互いに送りあっていた。結局謎は分からずじまいだったけど、監督と俳優陣のインタビューがよかった。作品を観るというよりも、ヘス家を覗いているという感覚になる映画。覗いているわたしたちはどう考える?と問われている。

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『ラストマイル』

last-mile-movie.jp

大好きな製作陣の新作映画。『アンナチュラル』と『MIU404』のあの人たちも同じように世界を、時代をともに生きているんだなと感じられてうれしかった。

 

link-click.jp

1期を見てから3年くらい?ずっと待ってた。1期のあの終わり方からよく3年も待ったよ。トキとヒカルと再会できたことが喜ばしいね。2期の性暴力のシーンに対して、元の中国版には然るべき文言が入っていたのに日本版ではそれが省かれていて、そういうところ!!と思った。3期の英都編はまた数年待つことになりそうだけど、物語が続く限り、ちゃんと待ちますので!こちらは!

 

『あんのこと』

annokoto.jp

12月の台湾出張の移動でいくつかの映画やドラマ、アニメをダウンロードして機内で観ていた。そのうちの一つ。何をどう書いても偽善的になってしまう感じがする。ずっとつらかった。杏のことを母親が「ママ」と呼ぶことも、祖母が母親の暴力を見て見ぬふりしつづけることも、自助グループで性暴力があったことも、そこに圧倒的な権力関係があったことも、しかし杏が唯一頼れる大人だったのがその加害者であったことも。誰をとってみても悪人も善人もいなくて、たとえ加害者であっても別の側面には善良な部分もあり(当たり前だけどだからといって加害行為を擁護することは絶対にできないし、多々羅はほんとうにずるいと思った)、被害者であっても悪事を働くこともあり、人間のそういう割りきれなさを鑑賞中ずっと感じていた。この物語が実話をベースにしていることを抜きにしても、あまりにも現実的な暴力ばかりで、とてもフィクションだからと割り切れないことも辛さの理由にもなっていた(実際にどれもこれも「よくある」話だ)。また時間をかけてこの作品について考えたい。

 

ゲーム配信

ドコムスチャンネル

コロナで家にこもっていた2020年ごろから、それまでまったく見たことがなかった(というか存在さえ知らなかった)ゲーム配信というジャンルを知り、少しずつ配信者の人を知るようになった。どっぷりハマるようになったのはドコムスさんで、今も数日おきに見ている。あまり夜型ではないのもあって、配信は後日部分的にアーカイヴを見たり、切り抜きを見ることがメイン。ドコムスチャンネルのよさは、生配信はドコムスさん一人でやっているけど切り抜きは実の弟のやさゾウ(やさしいゾウ)さんが担当していて、なかなか辛辣かつおもろいツッコミをいれてくれるところ(あと歳の差兄弟というところにも、わたし自身年の離れた兄がいるのもあって「あるある」にめっちゃ共感できる)。あとはドコさんはゲームがうまいというより(失礼か?)とにかく楽しむということに長けていて、それが非常によい。年々チャンネル登録者数が増えてきているけど、ご本人はチャンネルを伸ばすぞ!というよりとにかく楽しむぞ!自分が楽しいと思うことしかやらないぞ!という方向性なのも、なんだか見ていて健やかで清々しい。あとは単純にかつての自分がやっていた懐かしいゲームをたくさんやっていて、操作性や内容を知っているものが多いというのもでかい(「どうぶつの森」シリーズ、「トモダチコレクション」、「ぼくのなつやすみ」シリーズ、「たまごっちのプチプチおみせっち」、「オシャレ魔女ラブandベリー」「ゼルダの伝説」シリーズなどなど)。ゲーム配信のほかにも雑談配信をTwitchでやっていて、YouTubeのサブチャンネルにはその雑談の切り抜きが上がっている。元来ラジオやポッドキャストが好きなので、サブチャンの切り抜きもラジオ的な感じで流しながら家事をしたりしている。いくつか好きな動画を。

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ドコさんのGartic Phoneが好きすぎていつも呼吸困難になりながら見てる。最新のやつもお腹がよじれるほど笑った。

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レアな兄弟対談も好き。また来年くらいにしてほしい。

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視聴者さんもおもしろすぎるんだよな。

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にじGTA

2年くらい前にはじめてVtuberという存在を知り、そのときはじめて知ったのがにじさんじという箱だったため、それからゆるーく箱で見ているんだけど今年の箱内企画であったにじGTAがあまりにもよくて、いまも切り抜きをみている。にじGTA期間中はエニグマを追っかけていたからそれ以外は全然知らなかったんだけど、もうすべてがおもしろいしすべてがストーリーとしてうまくいきすぎている。噛んでも噛んでも味がする。12月にあったVCR GTAも少しだけ見たけどあまりハマれなかったのを思うと、たぶんこのゲームがというよりもにじさんじだからこそのおもしろさだったようにも思う。背景の関係性とか一人ひとりのプロフィールを大まかに知っているというのが大きかった。

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このチャンネルの切り抜きが一番好き。ものすごく丁寧で細部までちゃんと入れているのと、映画風のつくりになっていて満足度が高い!

 

ラジオ・ポッドキャスト

星野源オールナイトニッポン

www.allnightnippon.com

コンスタントに聴いているわけではないけど、ときどき思い立ったように聴いている。ポッドキャストとは異なる、ラジオの、生配信のおもしろさというのは確実にあるよな。

 

クィアにしんにょう

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SNSで知り合ったぽぽねさんがゲスト出演している回から聴き始めた。わたし自身Aspec上に存在しているけど、ぽぽねさんのAro経験と自分の経験はかなり異なっていて、同じ傘の下であっても個々の経験は当たり前だけどちゃんと違うんだなぁと。その回以降のエピソードも楽しく聴かせてもらっている。不定期ながらわたしもポッドキャストを配信する側として、2人でやるポッドキャストと3人でやるポッドキャストって会話のテンポ感がまったく違うんだなと思った。人数というよりそれぞれの性格というのももちろんあるだろうけど。このお三方の掛け合いがたのしいし、自分もしみじみと考えさせられることもあり、すっかりお気に入りのポッドキャストになった。

 

take me high(er)

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haru.ちゃんが大学生の時からHIGH(er)マガジンを読んでいて、自分とそこまで変わらない同世代の人がこんな面白いものつくってるんだと知り、なんとなくそのときから自分もzineをつくってみたいなと思っていた。最近の活動についてはあまり知らなかったのもあるけど、新しい事業をしていたりポッドキャストもやっていて、改めてすごいなと思う。すべてのエピソードを聴いたわけではないけど、すこしずつ聴いている。声が聴きやすくて、いい声だ!って毎回なる。このエピソードは、わたしはそこまで美容にかかわる施術をしたことないけど、美容と自意識のかかわりや、歳を取ることへの考えとかわかるなー!と思う部分が多かった。

 

買ってよかったもの

キーボード Niz x99

NIZ 静電容量無接点方式キーボード 35G USB有線 Mini84 / X99 / S104www.akeeyo.co.jp

念願のメカニカルキーボードを買った。セールの時期を狙ってすこしばかり安く購入。今もこれを使ってタイピングしているけど、音のよさと軽いタッチが気に入っている。最初は軽すぎて慣れるのか心配だったけど、今ではこれ以外が逆に打ちにくく感じる。人間の適応能力すばらしい。

 

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パームレスト

木製パームレストwww.niz.store

腱鞘炎予防に公式のパームレストも購入。今のところ快適に作業できている。来年はマウスも新調したいし、できたらモニターも……(欲の塊)。

 

加湿器 ダイニチ工業HD-RXT724

www.dainichi-net.co.jp

去年1万円くらいで購入した加湿器が1シーズンももたずに水漏れで使い物にならなくなり、今年はどうしようかと思っているうちに冬将軍がやってきた。晩夏からつづく皮膚の炎症がひどくなっていたのと体調を立て続けに崩していたこともあり、ちゃんとしたものを買おうと思い至り、購入。まだ使い始めて2、3週間だけど、ものすごくいい。まず大容量ということもあって、夜中や朝方に給水ランプがついてしまうことがない。あと設定した湿度になったらそれ以上に加湿しすぎることなく、節電&結露防止になる。デザインも◎ なかなか大きな出費だったけど、長く使えることを願って!

 

スニーカー Karhu Fusion XT

FUSION XT - ARCTIC WOLF / QUAILjapan.karhu.com

スニーカーしか履かない人間ことわたくし。はじめてのKarhu。とにかくかわいいのと、中のクッション性にすぐれていて履き心地がよく疲れにくい。たくさん歩くわたしにもってこいだ。

 

睡眠時レッグウォーマー

item.rakuten.co.jp

睡眠時の足元の冷えがずっと気になっていて、以前母に借りたレッグウォーマーがとてもよかったのもあり、より安価なものを探して購入。十分効果を感じている。足はあっためてなんぼ。

 

スリッパ

いままであまり冬用スリッパというのを別途購入したことがなかったんだけど、最高すぎる。足元ふわふわのぽかぽか。

 

台湾茶

wolf teaでの試飲

購入した三種のお茶
荷物になるから買えなかったけど、オリジナルの缶もかわいかった

 

12月の台湾出張で、行ってみたいと思っていたwolf tea琅茶を訪ねた。wolf teaはシングルオリジンにこだわった台湾茶の専門店で、その茶葉の特徴、産地の特徴、おいしい淹れ方などを丁寧に教えてくれる(日本語に堪能なスタッフの方がいて、その方が教えてくれた。こちらは挨拶くらいしかしゃべれないので、申し訳なくもありがたかった)。その場ですべて試飲させてくれるんだけど、それがまたおいしいこと、おいしいこと。日本茶もそうだしコーヒーもそうだけど、淹れ方一つで味が180度変わってくる。今回試飲したのは、烏龍茶の東方蜜美人、高山茶の悠韻烏龍、紅茶の薄荷紅玉で、そのうち東方蜜美人と薄荷紅玉は冷茶をいただいた。口に含んだ瞬間、香りの芳醇さと口と鼻いっぱいに広がるまろやかな甘みに感動してしまった。茶葉はそんなに安いものではないからたくさん買うつもりはなかったんだけど、気づいたら三種買ってた。台湾での買い物は食事以外全然していなかったし、まいっか、と思うことにした。東方蜜美人は帰国してすぐに飲んだんだけど、やはりとてもおいしい!帰国したらまた一段と寒さが増していて、とてもじゃないけど冷茶にする気概はなく、あたたかいお茶でしか飲んでないけど、これはこれでおいしい。茶葉の甘みはやはり冷茶の方がよく感じられるものの、あたたかいお茶は味の奥行きが出るというか、味が深みを増すというか。お土産にはティーバッグを購入。母へのお土産という名目だけど、わたしも一緒に飲んじゃおうと企んでいる。もともと大のコーヒー好きだったんだけど(圧倒的に浅煎り派、なかでもエチオピアイルガチェフのコーヒーは外れないと思っている)、近年お気に入りの日本茶と日本酒専門のお店のおかげで日本茶のおいしさに目覚めつつあり、ここにきて台湾茶中国茶の魅力にも取り憑かれつつある。昔よりマシになったとはいえ、カフェインの取りすぎは身体によくないからほどほどにしようとも思うけど、来年はおいしい淹れ方を学んだり試行錯誤していけたらいいな。