2024年

2024年の1年について。

1月 息災を願う

・年始早々、地震。ほぼ1年経っても復興は順調とはいいがたい(12月現在)。いろんな人と生きものたちの死を想う。忘れ去られてしまう苦しさは、ある。

・私生活も年末からひきつづき安寧とは到底言えない生活。写真とは裏腹の、まるで夜逃げ状態。

・わたしたちのお気に入り。いつ行ってもおいしい。いつもごちそうさま。

・イベント前夜。ご近所さんだったときから変わらぬ癒しと味をありがとうなお店。いまはもうずいぶんと離れてしまったけど、行けるときはいつも行ってる。

・AOTで終わる1月。思ったより長丁場だったけど、心臓を捧げてきました。10年分に思いを馳せる。生call of silenceですでに涙腺ガバガバだったのに、つづく朴路美さんの言葉に涙が転がり落ち、アルミンとエレンの掛け合いを目の前で見、ふたたび胸が苦しくなり、石川さんの「職権濫用」によるエレンの「ミカサ、ただいま」に号泣。締めの梶さんの声量にも心底驚いた。声優ってすご……。

 

2月 "もう一回”がない試合

・お誕生日おめでとう。この土地で出会うことができてほんとうにうれしい。一緒にいると、安心して、呼吸がしやすくて、くだらないことににケラケラ笑っちゃって、いっつも最高!今後も何卒。

・ずっと大好き、『ハイキュー!!』。映画はわたしが一番好きな音駒戦。映画だからこそできる表現によって、原作とは異なる良さがあった。映画はトータルで4回見た。ほんとうは5回目を見る予定があったけれど、コロナにてキャンセル(8月参照)。古舘先生、すばらしい物語をありがとう。映画の制作に携わったすべての関係者に、感謝!いままでグッズを買うという行為に及んだことがなかったけど、はじめて研磨ぬいをお迎えしました。かわいい。

・来月から2年目だって、信じられる?ご近所に越してきてくれて、ありがとう。

・やっと、やっとzineが完成。何かを形にし、それを誰かの手に届けるということのたのしさとむずかしさを感じた。主に通販や手渡しで販売した。来年はイベントにも参加してみたいし、2号も出したい。

 

theworldofsilence.hatenablog.com

anosaa.base.shop

修論の完成、おめでとう。生活と学問と、それぞれにあなたが闘ってきたことを知っている。すぐそばで目撃してきた。同期として一緒に時間を共有し、愚痴を語り合い、研究への真摯さ(そうありたいということ)を共有できたことは今となっては宝物みたいだ。思ったよりも長く時間を過ごせからこそ、4月からはもう大学にいなくなってしまうのがさみしい。

 

3月 あなたの故郷、わたしの故郷

・またひとつ、年を重ねた。

・自分の誕生日をはさみながら、仲間の故郷を歩いた。この2、3年、偶然にもすぐ傍で各々にとって大切なテーマについて切磋琢磨し合う仲になった人たち。生まれ育った場所、長い間運動をし闘ってきた場所について話を聞き、一緒に歩いた。ここで何を考え、どんなことを想っていたのか。誰かの生き様について聞かせてもらえることはとても幸運なことだし、その人たちの人生のほんの一部分だとしても迎え入れてもらえることは素直にうれしい。わたしとは違う想いを故郷に向けて抱いている人たち。その違いに善悪はなく、ただ異なるということなのだけど、わたしの生きてきた場所もまた遠からず仲間の生きてきた場所と関係しあっているということに、わずかばかりの苦しさを覚える。植民地支配とはそういうこと。この言葉によって説明した気になってはいけない。大事なのはいま抱いたこの苦しさや土地を歩いたときの足取りの重さ、そこかしこに漂うかつての死の気配のほうだろう。ちゃんと、ちゃんと覚えていよう。

・5年ぶりの再会をはたした。流行病のせいで国境が閉ざされ、次に会うときはいつになるんだろうって皆目見当がつかなくなり、それから4年。思ったより早かったようにも思うし、でも自分たちの年齢を思うとやっぱり長かったようにも思う。でもこの期間があったからこそ、定期的なオンラインキャッチアップも、ポッドキャストも、zineも叶ったような気がする。いいことではないけど、悪いことばかりでもなかった。たった1日だけど、ほんとうに丸半日(11時間)ずーっと喋ってた。いつも通り、心地よくてたのしくて、わたしたちがわたしたちでいようとする限り、この空間は安心だ。ついこの間会ったばかりかのように話し始められたのは不思議だったし、同時にまったく不思議ではなかった。出会ったからだいたい15年くらい?いつも(ほんとうにいつも)ありがとうな人。

・いつもいつもあんまりにもうれしそうだから、意気込んで海に連れて行ってしまう。名前を呼ぶと耳が後ろ向きにひらくのがかわいい。話しかけるたびにちゃんと目をみてくれるのがうれしい。あなたが家族になってもう14年になるよ。

4月 進んでいくことへの不安

・2年目に入った。焦りと不安。

・どれだけ写真を撮り溜めても、可能な限りの時間をどれだけ一緒に過ごしても、毎回足りないなと思う。みんなの年齢を考えるといつが最後になってもおかしくない。そういう不安を抱くようになって、何年目だろう。

・定期的な逢瀬。毎回たのしくて美味しい。食の好みがここまで合う人もなかなかいないと思う。

・最後の申請のためにPCと向かい合う時間が長い。どれだけ時間をかけようが不十分な気がするし、いまさら何を書こうが評価されないのではないかという気もする。毎回情緒不安定になるこの制度、どうにかならないのかな。

 

5月 即時停戦を

・無事に提出。どうにかなってくれ。

・ご近所フレンドと『自由と壁とヒップホップ』の上映会と展示を見に行く。変わらず即時停戦を望む。これだけの虐殺をこれだけの人が目撃しているというのに、日々の状況が変わらないのはどういうことだろう。人を殺すなというただそれだけのことがなぜこんなにもむずかしいのか。

・今月も。鴨川でピクニックするのにいい季節。バインミーを狙うヤツらの視線を感じながら。赤ちゃんらしき雀がかわいかった。

・VNLを観るのがたのしい。こうやってリアルの試合を楽しく観れるようになったのもHQのおかげだ。たかが部活、されど部活。あまりにも本気で、あまりにも理不尽で、あまりにも精神論で成り立ちすぎている中学時代の部活経験が大人になっても尾を引いて、ちっともたのしいものではなくなってしまっていた。HQで出てきたプレイをリアルな人間がプレイしているところを観れるというのも今のチームの醍醐味だよな。

立命館でやっていた押原譲写真展「ガザ」へ。写真に写る人びとのうち、いったいどれほどが今も存命なのだろうか。ガザが豊穣な土地であったということを、とてもじゃないがいまは想像し得ない。

 

6月 旅へ

・友だちと淡路島へ。すてきなお宿に泊まることができて幸。数年先にどこに住んでいるかはわからないけど、関西にいるあいだに関西からアクセスのいい場所にいろいろ行ってみたい。

・戸ヶ谷新先生がファンレターの応答をSNS上でしてくれていて、とてもうれしかった。一方的な感想を送りつけてしまっただけなんだけど、それが作者に伝わり、さらにそこにお返事をいただけるんだなんて贅沢すぎる。

・友だちと堀井ヒロツグさんの展示を観に行った。観た後に柴犬のいるカフェで犬を横目にぽつりぽつりと感想を共有した。堀井さんの詩集のサンプルが置いてあって、とてもよくて二人とも予約購入をした。

 

7月 みんな誰かと関わって何かを共有してる

・念願のCLAMP展に行った。思いの外混んでいなくて安心。マイベスト漫画の一つである『xxxHOLiC』の原画を舐め回すように観た。線一本一本のうつくしさと躍動感たるや。一枚一枚をほんとうにすべて手作業で書いていたんだなと改めて実感。ところどころに修正ペンの跡があることが愛おしい。最近新装版が出たけれど、わたしはやっぱり昔の表紙が好きだった。昔は兄が持っていた漫画を勝手に本棚から出して読ましてもらっていたし、一緒にアニメも見たりした。作品そのものも細部までよく記憶しているけど、作品と共にすごした時間や人も一緒に思い出す。CLAMP作品は読んでいないものもあるから、この機会に別作品もちゃんと熟読したい。

・何年ぶりだろうか。福島へ。最後に行ったのは震災前だったから、小学生だったのだと思う。第一回目の顔合わせということで、だいぶ緊張したものの貴重な経験をさせてもらってありがたい。だれかに語った自分の言葉が聞き手の口から再度異なる響きをもって聞こえてくるというのは、なんともおもしろかった。

・片道3時間ちょっとは今まで運転した中で一番長距離だったと思う。少しずつだけど、できることが増えるのは何歳になったってうれしい。

・定期勉強会。自分で提案した文献ながらも、あまりうまく場をリードできなかったり、質問への応答がうまくいかず歯痒かった。ほんのすこしのことですぐに不甲斐なさを感じて謝る癖があるが、謝るというモーションが場に与えるネガティヴな影響もあることに気づいた。反省。必要以上に謝らずに場をヘルシーに運営する能力を養う必要があるのかもしれない。訓練、訓練。

 

8月 休

・2度目の福島。自分と同じ年齢の時にまったく違う場で違う経験をしてきた人の語りを聞かせてもらった。本当に、本当に聞けてよかった。話してくれたことがうれしかった。ちゃんと悲しむということは生きていく以上必要なプロセスなんだろうと思う。悲しいことを悲しくないふりするのはしんどいよ。

・まさかの初コロナに感染して、貴重なスケジュールをだめにしてしまった。なんでもできると過信してはいけなかった。

・だめになったことを悔やんでも仕方がない。8月は休むことに徹した。愛しい3匹を見つめながら、英気を養うことに努める。ちゃんと動くためにはちゃんと休むことが必要という、至極当然のことを再確認。

 

9月 東に西に

・いつだって愛おしくて、誰がなんと言おうとこの世界で一番美しい生きものたち。

 

・半年間、ありがとう『虎に翼』。毎日心強かった。

10月 闇

・悩みまくった末、外部を頼ることも一つかと思い至り韓国語を習うことに決めた。

・電話一つ、言葉一つで安易に自分の輪郭が朧げになり、腐敗し、闇に融解していく。大きな異変がなくとも、ほんのささいなことがトリガーになって涙がとまらなくなる。所構わず泣いてしまう。自分を保つことがむずかしい。泣いて泣いて、うまく呼吸ができなくなって希死念慮に囚われる。日常が日常として営めない。生まれたくなかったという気持ちはずっと根底にあって、基本はずっと仄暗くて、どんなに幸福であってもその幸福は仄暗さのなかの幸福だった。光を求めているのに、一方でもうずっと仄暗くていいという投げやりな気持ちもあるし、いつこれが完全なる漆黒となって自分の輪郭がとけてしまっても構わないとも思っている。どうでもいいしどうにもできない。そんな日々が長引けば長引くほど、いよいよこれはまずいかもしれないと思い、いくつかの精神科医にアクセスしてみる。が、どこもかしこも新規は受け入れてくれなかった。ポッキリ。そんな音が聞こえた気がした。人間としての行動ができそうになくなって、もうダメかもしれないなと思ったけれど、これほどの強度はなくともこういうタームは今まで幾度となく訪れた。結局、過ぎ去ってくれるのを待つしかないのだ。これが過ぎ去るか、自分が過ぎ去るかはどっちが先かという感じだったけれど。布団の中でただただじっとしていた。

・あの人の言動に明確な診断名がついてから早5年。未だ渦中にある。安易な共感もうすっぺらい励ましも苛立ちを強めるだけでなんの助けにもならなかった。「ケア」がある種の流行りとなり、かの専門家や近しい立場にいる人、当事者らが書いたエッセイが一定層にウケているのを見てもしらじらしいなとしか思わない。あんたらには絶対にわかりっこないという投げやりな感情に襲われる。誰しもが理解を示さないよりかは絶対に今の状況の方がいいにも関わらず、勝手にシンパシーを感じてエモくなっている人たちを見ると、いったいなんなんだこれはとなる。当事者の声ばかりが大きく響き、そのすぐ傍にいるある種の当事者の声は聞かれない。当事者の声だって大事だ。でもその人たちによって痛めつけられてきた人びとの声はどうやったら聞かれるの。当事者が勝手に回復しようが、その人によってなされてきたことに生が引っ張られ続ける人たちもいるということを忘れないでほしい。こうやってぼやいてばかりいるからわたしは自分の話を誰にも話せなくなっているのかもしれない。

・ほぼ何もできずに10月が終わった。延々とjo0jiの「不屈の花」を聴いていた、というかこの曲以外聴けない、読めない状態だった。まっくらな世界の灯火のような歌。この曲があってよかった。

 

11月 移動、移動、移動

・にっちもさっちもいかなくなって、はじめてカウンセリングへ。年始に立てた目標の一つはカウンセリングに行くことだった。わたしにとっては重すぎる一歩を踏み出せた(祝)。何を話しても驚かれない、引かれない、同情されない(が、わたしの気持ちを慮ってくれてはいる)というのは初めてかもしれないし、そのうえで自分のための人生を歩むために今の状況分析と今後のプロセスを話してくれて、なんだかちゃんとしたカウンセリングって、すごかった。このことについてこんなにも話せたのは初めてだった。途中泣きそうになりながらも、話すことを選んだ自分をすこしだけ誇りに思う。わたしはいまの状況を変えることはできないけど、その状況に逐一左右されてしまう自分を変えたいし、自分という人間の過去も現在も未来も、全部あの人に壊されるわけにはいかないよねって今はそう思える。すぐにどうにかなる話ではないから、定期的に通いつつ少しずつ変わっていけばいいなと思う。

・先月から続くメンブレを知ってか、母が京都に来た。あのお店が閉店する前に行けてよかったね。カウンセリングを受け、やってみようということになったことの一つが母にあの件を話すことだった。滞在中に話そう、話そうと思っていたのにずっと先延ばしにし、新幹線の時間が迫り来る、お別れのギリギリ前に話すことができた。道でメソメソ泣き出して申し訳なかったし、この話によって母が今よりもさらに追い込まれてしまうのではないかと不安になった。母は大丈夫だと言ってくれたけど、ほんとうにこれでよかったんだろうか。

・学会報告に向けての2回のプレ報告。準備が大変のなんのって。10月のメンブレを引き摺って十分な準備ができたとはとてもじゃないが言いがたい。

・いつか訪ねることができたらと思っていた、個人で行くことのできないとある場所へ縁があって行くことができた。遠方から行くわたしにとってはなかなかのハードスケジュールだったけど、それでも行けてよかった。わたしはあなたを覚えているし、覚え続けたい。

・久しぶりにかつての学舎へ。ちょうどいい時期に行けてキャンパス内の紅葉が見事だった。後にも先にも一度きりの女子大で、当初は一番行きたかった大学ではなかったけれど、ここで過ごせた時間がいまとこれからの大きな財産になっている。卒業したとき、Instagramにわたしは次のような文章を残した。

順風満帆とは言い難い舵取りでたまたま行き着いただけの大学だったけれど、ここで過ごした時間や向き合った孤独、出会った人々、すべてに悔いなんてひとつもなくて、きっとそれらはこれからも自分の奥深くをゆるやかに照らしてくれるだろうと信じてる。

ひとりの人間として尊重されて、自分の領域を不必要に侵害されないということは思った以上に安心できて居心地のよい環境だった。

まっとうに生きるという、ただそれだけのことが難しい世の中で、自分の行き先も数年先はまったくの不確定だけど、戻ってこれる関係性と場所があるということはほんとうに嬉しいことだと思う。

キャンパスに謎の干し柿が……。誰がつくっているんだろう

この気持ちは今も1ミリたりとも変わっていない。それは非常に幸福なことで、恵まれたことだったと思う。

大好き!桉田餃子

懐かしい場所にできていた新しいお店

恩師の一人にも去年振りに会うことができた。もし就職で関東に行くことになればお世話になるかもしれない。それとはまったく関係なくとも、今後もゆるやかにつながっていけそうで、これまたありがたすぎる出会いだったと思う。

通学のときに毎日通っていた銀杏並木

お久しぶりの井の頭公園にて

・いいこともあれば悪いこともある。おそらくひとりの友だちとお別れした。決定的に決別したわけではないけど、徐々に狂っていった歯車が、実際に会って話して明白になった。会う前からごたごたしていたのもあるけれど、あなたはわたしといて楽しくないのかなと強く実感させられて、何を話しかけても空振りしてしまう感じもした。もし、いま会える状態ではなかったのならばそう言ってくれればいいだけの話なのに、何も話してくれないから何もわからなくて、どうすればいいのかわからなかった。一緒にいて蔑ろにされているという自分の感覚を無視できなくなって悲しくなって、たぶん、これが合わなくなってしまったということなのかもしれないと察した。きっともうわたしから何か誘うことも、話しかけることもないでしょう。あなたはもともと自分から誘うタイプではないから、きっともうこれきりだろうなという予感がする。この結末はすごく残念で寂しいけれど、だからといって0になるわけではないなとも思う。友だちとして過ごせた日々がなかったことになるわけではないし、もしかしたらもっとずっと時間が経ってまた一緒に過ごせることもあるかもしれない(し、ないかもしれない)。昔のわたしだったら一切合切を捨て去って縁を切るという行為に踏み出していたかもしれないけど、そうして自ら切り捨てた関係性やそのやり方に昨今後悔することもあって、もう同じ過ちを繰り返さないようにしたい。今までのような付き合いができなくなることはやっぱり悲しいけど、きっと今は何も共有しない方が互いのためな気がする。これはたぶん、お別れだ。

・調査で沖縄へ。いつもいろんな角度から自分が問われているように思う。今年は研究に前向きになれなくなる瞬間も何度もあって、今後の不安も含め、どうしたらいいのか、この際一回やめてまったく違うことをしてみてもいいんじゃないかとか考えてたんだけど、放り出してしまうこと自体、放り出せるという特権なのではないかとまた考え始めてしまう。あまりいい思考のあり方ではない。自分事としての引き受け方を迷う。

 

12月 師走

・母がお裾分けでりんごと本を送ってくれた。母の変化を感じる。ありがとう。

・はじめての学会報告。ど緊張。よいコメントもいただけたし、新たに知り合えた人もいて、学会で報告するということの意義はここにあるよねと思いつつ、なかなか自分の意図が伝わっていないという感触も得てがっかりした。でも今後の研究の糧とするほかない。今度はまた別の場所で経験を積みたい。

・学会帰りに友だちとサクッと逢瀬。前日に誘って気軽に会って話して聞いて、ほんじゃまたねって言い合えるのがいつもうれしい。遠くにいてもこうやってできるのはありがたいね。

・ウイルス性胃腸炎になった。このタイプの風邪はほんとうにひさしぶりで、死にそうになりながら経口補水液を買いに行ったり(帰った瞬間ダウン)、久しぶりに点滴を打った。寒さと免疫力の低下をなめちゃいかん。

・調査で7年ぶりの台北へ。以前は旅行で九份にも行ったけど、今回は台北オンリー、2泊だけ。初日の移動疲れがすさまじくて、正味1日の滞在といっても過言ではなかった。7年前と比べて体力も落ちたし、何より胃袋が小さくなった。2日目は疲れが全くとれず、丸一日食欲がなかった。食べることが楽しみだったのに(もちろんおいしいローカルフードにも出会えたが)万全の状態で食すことができずに残念だった。

台北にて。戦時性暴力について。いつだかの来場者が英文で記した「イスラエルの女性がハマスに拉致され性暴力に遭っている。歴史を繰り返してはならない」というポストイットがあった。館内には“Israel-Hamas War”という言葉もあった。そしてすぐ近くの説明文にはイスラエルもガザもどっちもどっち(それぞれ悪いよね)と受け取れる文言が書かれていた。 愕然としてしまった。今(というかずっと)起きていることは虐殺だし民族浄化だ。

・過去と現在をつなげて考えること。それは単線上につながっているというよりも、絡み合っている。しかしその絡み合いは、つながるべくしてつながるものもあれば、それらを安易につなげていいのかという問いを挟む必要がある回路もある。あらゆることはつながっているけれど、同時にその個別性を軽んじてはいけない。

・どんな言語を話すか。その言語をどれほど話せるかを問うこと。そうした問いはある個人の、あるいはその土地に住む人間の歴史的な痛みを抉り出すものでもある。そのグロテスクさに気づかずにぬか喜びすることはできない。言語は、痛みにかかわる。見知らぬ土地で自分の使う言葉を耳にする、それも何の違和感もない抑揚をもって聞こえてくる。その度に自分の身体に降り積もる歴史の重さを感じる。申し訳なく思うというのもまた違うだろう。でも開き直ることなく、この居心地の悪さをちゃんと感じなければならないと切実に思う。

 




・最近歌うことにハマっている。人に聞かせる意義も意味も感じられないから、専らひとり部屋の中で歌ってるだけだけど。人と喋らない日はとくに声を出すことが気持ちいい。声にずっとコンプレックスがあるけど、声の出し方についていつか学んでみたいと思い始めている。

・今年3度目の渡韓。今回はがっつり調査。とんでもなく貴重な機会をいただいて、お話を聞かせていただいた。語られる内容そのものよりも、繰り返される語りを聞きながら、それ以外の語りが逆に抑圧されてきたことを想い、しかしその抑圧する側の不明瞭さというか、膨大さに頭がくらくらする。個人に行使された暴力が時空をまたぎながら再度政治的な「材料」とされ、好き勝手にその人の生が利用され尽くしている。今も人間が一番怖いという一言が忘れられない。この語りを聞いた自分はいったいどんな言葉でもって書いていけばいいのだろう。語りを聞いた責任をどうしたら適切にまっとうできるだろうか。

・あらゆる計画を終え、ほっと一息をつく年末。帰省をし、愛しい3匹に会いにきた。いままで生きてきて真に生きることに前向きになれた試しはないけれど、3匹に会うたびにこの世界は生きるに値する(なぜならこの3匹が存在しているから)と強く思える。それは自分がいまを生きる理由になっている。と同時に、このような自分の感情はあまりにも重すぎるという気もしている。