深呼吸

わたしにとって1年の上半期はだいたい夏のおわりという認識がある。あまり6月は上半期の終わりって感じがしない。たぶんとても長く学生という立場にいるからだと思う。1年の始まりは4月だし、終わりは3月。だから上半期の終わりはだいたい9月だ。今年の上半期は毎月重要な締め切りがあって、一つ終えてもまた次があるという状態がずっと続いていて、なかなか息継ぎがうまくいかないときもあった。9月10日に上半期最後の重要な(最後にして最も重い)締め切りを終えた。解放感とともに急いでパッキングをして、翌日からは軽井沢へ!2、3ヶ月前からSさんと少しずつ計画を立てていた、念願のふたり旅だった。わたしはおよそ10年ぶり、Sさんは初めての軽井沢。

今まで関東からしか行ったことがなくて、今回初めて京都から金沢経由で軽井沢へ行ってみた。今まで軽井沢は行きやすい避暑地という印象だったから、関西からだとこんなに時間かかるのかとびっくりした。ぼやぼやと眠気を纏いながら、サンダーバードはくたかと乗り継いで向かった。サンダーバードの匂いは独特だった。

8月をほぼ丸々京都で過ごしたのは実は今年が初めてで、9月の初めには秋風を感じられるようになってきたけど、軽井沢の過ごしやすさを思えば京都はまだまだ真夏だ。死にそうな暑さにも順応しつつある自分がいることに驚く。はくたかを降りてすぐにふたりして「涼しい〜!」と声をあげた。もうこの時点で片道5時間の道のりを超えてきた甲斐があった。

初日は移動疲れもあったのに一番がんばって動いたと思う。コロコロと変わりやすい天気で、雨が降ったり病んだりを繰り返すなか、ふたりで男梅みたいな顔をして異様なブレーキ音をぶちかます自転車を漕いだ。やっと到着したKaruizawa CommongroundsではSHOZO COFFEEへ。東京に住んでいた頃に行ったことがあったのだけど、まさか軽井沢にまで進出していたとは。カフェでまったりする時間を愛するわたしたちは、この日やっとこさ落ち着いておしゃべりをできた気がする。窓が大きくて広くて視界に緑が満ち満ちている空間は正義。10年前と比べて軽井沢は局所的に混雑している印象で、今回車を利用しなかったわたしたちの行けるような場所はどこも混んでいたのだけど、Karuizawa Commongroundsは人が多くなくてとてもよかった。

もともと食の好みが驚くほど合う人だなと思っていたけど、今回の旅でなお一層そう思うようになった。泊まりがけの遠出において、食の好みが合ったり、体力差が大きくなかったり、お金をかけられる対象が概ね似ていることは大事なポイントだと思う。少なくともわたしにとってはとても重要。元来人と一緒に居続けることが得意ではない人間なので、ある程度そういうポイントが合ってないとほんとうにしんどくなってしまう。最悪、旅行をする前の方が相手のことを好く思えたりする。だから、旅行中も旅行後も相手のことを以前と同じように感じられる、いやむしろもっと一緒にいたいなと思えるSさんはわたしにとって稀有な人だし、すばらしい旅行だった。

ハルニレテラスは日中は人でごった返していてウンザリするほどだったけど、同時に犬たちが大勢いて、とても癒された。デカくてもふもふの犬が大好きなわたしは、数少ない大型犬を見るたびに胸をときめかせていた(そして実家の愛らしい白いもふもふのことも恋しくなっていた)。いろんな性格のいろんな犬たちがいて、思わず笑っちゃうこともあった。犬と一緒に旅行がしやすいのは軽井沢のよいところ。

初日にやっとありつけた昼食
ごはんの固さがわたしたち好みだった

歴史を感じる蕎麦屋さんだったけど、わたしたち的ハイライトはやたら豪華な置物たち
大ウケで今も写真を見返すたびに笑える

2日目の夜はテイクアウトにして宿で食べた
こういうのもゆっくりまったりできていいし気が楽

今回の旅の個人的ハイライトは温泉とムササビ。かれこれ1年近く一緒に温泉に行こうという話をしていたから、念願叶ってよかった。露天風呂の薄暗さと熱すぎない温度がちょうどよくて、2日目は1時間くらいずっと入っていた。温泉でのんびり話しながらぼーっとする時間が至福。しんどかった下半身の張り感も幾分よくなった気がする。

昔は旅行に行っても、どこかで何かをすること=楽しさとして感じていたけど、今はいかに何もしないかのほうが重要。大人になっちゃったんだねぇって話をした。

宿のエリアの敷地内にある巣箱で眠っていたムササビが飛び立つ瞬間も観察した。子供の頃も一度見たけれど、生態については忘れてしまっていたし(当時説明を受けていたかどうかの記憶も曖昧)、改めて動物の生き方について聞くのは興味深かった。スタッフの方の野生動物との距離の取り方もよかった。野生動物が野生動物として生きるということを第一に、観察者はきちんと一線を引いた上で観察に徹する。境界線を引くということが互いが生きていくことを尊重する行為になるのだということ。

2泊3日の旅はあっという間で、こんな場所で日常を送りたいよーとも思うけど、結局こうやって田舎への憧れを募らせるのは都市に身を置いて過ごしているからなんだよな。寂れた田舎の物足りなさや息苦しさはよく知っている。田舎ののどかさは関係性の窮屈さと表裏一体だと思っている。わたしはきっとこれからも自分で選べるかぎりは都市で生きていくことを選ぶと思う。

やらなければならないことを一通り終わらせて軽井沢へ向かったわけだけど、心置きなく楽しめたと思う反面、帰ったらやること/年末に向けてがんばっていくタスクが頭から消えたわけじゃない。大人になるときっと全力で「今」を楽しむことのほうが難しい。そういう自分の変化を感じてほんの少しの切なさがあるけれど、とはいえ大人になるということは自分で選択ができるということでもあり、やはりそれはそれでとても大切だ。

たいていの日常はしんどいし、幸せを感じても次の瞬間には虚無になったりするし、生きていくことに希望とか夢とかないけど、この人と一緒にいる時間はとても好きだなと思えることはやはりとんでもなく幸福なことだろう。そういう一瞬一瞬を忘れずにいたい。何巻だったか定かじゃないけど、『ハイキュー』の古館春一先生が「創作の9割はしんどい」って書いてあって、そうなのか!という驚きと、そうだよな…という納得があった。研究も論文書くのも大方しんどいけど、やめられずにいる。9割のしんどさに対して、1割のやめられない何かがある。でもその1割を味わうためには9割のしんどさに耐えなければならないわけで、そのときのしんどさを紛らわせてくれているのは、結局恵まれた他者との関係性にあるのだと思っている。わたしの場合は。常に自分だけに向き合い続けるのも、他者だけに向き合い続けるのも、どちらも苦しい。それらの緩やかなバランスのなかで自分は生かされているなと、日々感じる。自分が穏やかであれる他者と出会うことも、関係を続けることも自分だけの努力ではどうしようもないからこそ、やはり他者がいてくれることはありがたい。一緒にいて呼吸が整う人と出会えたことは、とても稀有で、自分はラッキーだと思う。