ZINEをつくりました

10年来の友人とZINEをつくりました。「あのさ、」という名前で不定期に(不定期になりすぎてしまった)ポッドキャストを一緒にやっている友人です。

ずっと前から一緒にzineをつくろうという話はしていたけど、ようやく手を動かし始めたのは2023年8月のこと。それからさらに半年近く経って、ようやく形になった。

ほんとうはもっと色々詰め込む予定だったけれど、複数の制約や自分たちもモチベーションのためにもいったんここで形に落とし込むことに決めた。はじめてのzineはひたすらに自分たちを掘り下げる内容になったと思う。

わたしたちはインターネットという広野で思春期ど真ん中に出会った。住む場所も選んだ道も異なるわたしたちだけど、不思議と10年以上も変わらず友人でありつづけている。これはほんとうに奇跡のようなことで、とりわけ10代にあまりいい思い出がなく、ある時期の過去と断絶するような形で人間関係を形成してきたわたしにとっては、とっても稀有なことだ。同じように歳を重ねながら、変わったところも変わらないところもお互いにあって、その両方を互いにリスペクトしあえている。ずっと定期的に連絡をとりあいながら、物理的な距離に反して疎遠になることもなく、こうやって今も手をとりあえる関係にあることが、なんと幸せなことかと思う。

そんなわたしたちにとって、このzineは一つの節目でもありつつ、新たな自分たちを知る機会だったようにも思う。自分自身が日々変わりゆく存在であるのと同時に、相手も可変的な存在であって、その意味で完全に相手を知るということは不可能。だからこそ、いつだって話すことがたのしい。相手が変わっていくその瞬間に立ち会い、それを見つめながらまた自分自身も変わっていく。そういう相互作用が人間関係にはあって、幸運なことに、わたしたちはその度にその変化を祝福したり励ましたり応援することができてきた。今回の交換日記やインタビューもそういうものの一つだった、と完成した今思う。また、相手が変化しうる存在であるのと同じく、相手に応答するために自分自身の言葉があり、その言葉、つまり<他者>を通した自らの言葉によってまた新たな自己を発見することができる。そういうプロセスの痕跡がこのzineにはちりばめられていると、わたしは思っている。

今日はさっそく注文してくれた方に発送したけれど、完成した高揚感はまだあれど、発送の瞬間からは不安も強くなった。はじめてゼロからのモノづくりをして、完成したモノに対しても自分たちでその価値を決めて販売した。それが実はとても怖いことだと、はじめて知った。いままで自分の名前で書いてきたもの、たとえば論文に対して、貨幣による価値を決めたことなんか当然ながらなかったし、そういう等価交換の原理で何かをしたことがなかった。自分たちで自分たちのつくりだしたものの価値を決めて、その価値と原則的には等価であることを前提に、交換をする。でも、それはわたしたちが決めた等価の基準だ。だから、その基準が崩れたら、と考えてしまう。自分でつくって自分で売るということは、その怖さをも引き受けるということなんだなと気づいた。

これはなかなか手強い感覚かもしれない。すこし余談だけど、今年中にとある文章を書いてまたzineの形にしようかなと思っていたけど、この怖さを一人きりで引き受けるのかと思うと、すこし怯んでしまう。このことはもうすこしゆっくりと時間をかけて考えたい。

 

買ってくれた人にとって、何か拠り所となる場所になるといいなと思う。今後は二号、三号と号を重ねていくつもり。もしよかったら、ウェブサイトをのぞいていってね。

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