2021/5/2

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昨日、今日と天気がとても不安定だ。ずっと晴れていたかと思いきや、突然あたり一面が暗くなってどしゃぶり、そしてまた一気に太陽が姿を現す。数時間先がまったく予想できない。未来のことがなにもわからない、予想さえもできない不安感はこの1年くらいの状況にも言えるし、自分の人生にも言える。

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この場所を開設してから結構時間は経つけれど、使い方がずっとしっくりこなくて、使ったり使わなかったりを繰り返していた。誰かに何かを発信することにはもう随分と疲れてしまって、自分の発言がどういう意図であれ「消費」されていくことに苦しさを感じていた。私が今よりも精力的に「発信」をしていたころ、それに何かを感じて繋がっていてくれた人もいるのだろうけど、もう使い方を変えなくちゃだなと思って、この3月いっぱいで5年間使っていたTwitterのアカウントを消すことにした。Twitterそのものがもう無理かなと思っていたけど、フォロワーが前の10分の1にまで減ったからか、あまりTwitterへの抵抗感もなくなった。前と違って新しいアカウントでは「発信」らしい「発信」はしていないし、フォローする人もかなり限られているから、「つよい言葉」の連発を見ずに済んでいて、だいぶ気持ちが安定している。

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代わりに、というと少し違うかもしれないけれど、こうしてまたここで書きはじめることにした。ちゃんとはじめるために、以前書いていた記事はひとまず非公開に設定した。読まれることを前提としない、けれども読んでもらっても何も困ることはない、無駄として取りこぼしてしまうかもしれないものをここに置いていこうと思う。
とりとめのない思考の断片や、読んだこと見たこと聴いたこと、そのとき揺れ動いた感情とか。だれかにとって有益なことは何ひとつないでしょうけど、ここに書いていくことが誰かとの会話や新しいつながりに連なっていけば嬉しい。
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大学院生としての生活をはじめて約1ヶ月、とても早かったような長かったような、どっちつかずの気持ちでいる。生活のあらゆることを自分でこなしながら勉強・研究を進めていくことは非常に大変ではあるのだけど、ちゃんと自分の手と頭を動かしながら過ぎていく日々はそんなに悪いものではない。

 

一人暮らしも慣れたもんだな、と日々思う。それは誰かと比べてとかではなく、過去の自分を知っているからこその感覚だ。18歳になってすぐに実家を出たけれど、あのときはほんとうに、ほんとうに大変だった……と今ならちゃんと思える。今も毎日自分のための食事を用意することが億劫になることはよくあるけど、あの頃は億劫どころではなく大仕事だった。自分のやりたいことをやりながら日々健康と環境を管理するのはとても大変なことだった。何度も体調を崩したし、家から出られなくなった日々もあった。

 

気づいたらこの生活もずいぶん長くなって、自然と生活のための労働に慣れてきている自分がいる。嫌になってもきちんと衣食住を整えて、すこしずつ積み重ねてきたもののおかげで今の気楽さがあると思うと、ほんのすこしだけ自分のことを誇らしく思う。何もすごいことはしていないけど、生活を整えることは簡単なようで実は骨の折れる作業の連続だから。自分の足でこれからを歩いていくための準備を、日々着々とできていると思う。

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研究、というよりも勉強勉強の日々。
研究に足を踏み入れるためにはまだまだ膨大な知識と、言葉と、覚悟が必要だ。