2021/5/3

しばらく前にTwitterで『賢い医師生活(슬기로운 의사생활)』のシーズン2がそろそろ始まりそうだというツイートがあった。日本でも同時配信するのかどうかはわからないけど、(同時配信してほしい!)休暇中だし、久しぶりに最初から見ようかなと思い立って、つい数時間前に最終話を見終わったところだ。

 


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最初に見たときよりも話の流れがよく分かったぶん、うーんと思ってしまうところも出てきたには出てきたのだけど、でもやっぱり好きな作品だなと思う。性格は5人ともバラバラだけど、ひたむきに患者と向き合って、誠実な仕事をしているところはいつ見ても好きだなと思う。患者の命を救いたい一心で仕事をしているけれど、医者は神様ではないから必ずしもいつも命を救えるわけではないし、命を救えたことを喜んだのも束の間、「なぜ救ったんだ」と不自由になった身体を受け入れられない患者から当たられてしまうこともある。大きな事件やドラマがあるわけではないけど、この5人と周囲の人々が織りなす日々がとても好き。


強いて言うならば、恋愛や「家族愛」的な描写はもう少し少なくていいのになと思うけど、総じて好きな作品!シーズン1の終わり方が絶妙なので、去年からずっとシーズン2を楽しみにしていたんだ。はやくはやく、とついつい急かしたくなっちゃうね。

 

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昨日も今日も、ずっと課題文献を読んでいる。自分が今までの人生でかすりもしなかった人の文章と授業を通して出会い、今までにどこかですれちがっていても決しておかしくないような人だなと思いながら文章に目を通している。まだまだ知らないことばかりだし、知らない人ばかりだなと日々痛感する。この人の文章もそうだけど、指導教授の先生の話していることもいつもわけわからない。言葉そのものの意味としては、もちろん理解できている。でも何を指してこの言葉を選んでいるのか、そしてその言葉が連なったときに何を意味しているのかがさっぱりわからん。

 

学部生の頃も、それよりもっと前も、先生のやる授業にわかりやすさを求める人は一定数いた。それが間違った態度だとは思わない、けど、それはなんだか根本的に学びとは異なる態度だと思う。義務教育期間で意図せず身につけてしまった副産物のような姿勢だ。わかりやすさばかりを求めたら、きっとこの世界はとても単純だと勘違いしてしまうだろうし、あらゆることに正解があると思ってしまうかもしれない。端的に言って、思考停止状態だ。物事の複雑さを複雑なままとどめておくことは居心地の良いことではないし、白黒はっきりつけたくなる気持ちもわかる。けれども、私は複雑さや曖昧さを切り捨てたくはないし、永遠にはっきりできないことを考え続けることは無意味ではないと信じたい。だからこそ進学という選択をしたんだ。先生の話すことはさっぱりわからんけど、わからなすぎて面白いし、自分ももっともっと読んで考え続けようと思える。無駄を切り捨てないための努力を重ねていきたい。