2021/6/13

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昨日のこと。昨日は朝から何かと忙しなかった。せっかくの土曜日だと言うのに。…と、自分で言っておきながら、院生に土曜もへったくれもないのよねと思ったり。常にやらなければならないことや学ぶ必要のあることは山ほどあって、名目的には休みだとしてもがっつり休むのが怖いと思っちゃうんだな。ただ休む暇もないほど忙しいのかと言われると、それはまた違うとも思う。好きな本を読んでいるし、好きな映像も見ているし、好きな人とも話しているし、相変わらず推しのひとことに励まされたりもしている。休むのが怖いというよりも、何もしないことが怖いのかもしれない。よくよく考えてみると何もしないというのは案外難しい。常にこの体の細胞や臓器は休む間もなく働きっぱなしだし、暮らしを成立させる以上は動かないといけないことも多い。休む休むとよく言うけど、実際休むってどういうことなのか考え出すと、よくわからなくなってくる。何をすることなのか、何をしないことなのか。

 

先月から韓国語の勉強を始めたのだけど、なんだか不思議な面白さがある。思い返してみると、ある言語を理解したいという純粋な欲求から言語を学び始めたのはこれが初めてかもしれない。韓国語の勉強をはじめる前から、推しの映像や他のドラマや映画を見ていたから、音として意味が分かるものがいくつかある。だからなのか、ハングルさえ覚えれば、なんじゃこりゃという事態にはなりにくい。(まだ初級だからということもあるでしょうけど。)むしろ、分かることが少しずつ増えていってとても楽しい。定期的にオンラインレッスンも受講していて、その先生の誉め殺しも少し効いているのかもしれない。楽しさが続いている。絶対発音そこまでいいわけではないのに、先生がとにかくすんごく褒めてくれる。笑いそうになるくらい褒めてくれるもんだから、一周回って満更でもないなとか思い始める。楽しい気持ちを保ったまま、引き続き学んでいきたい。

 

今日のこと。今日は京都は雨だ。梅雨入りする前はずいぶんと雨が続いていたのに、梅雨入りした途端に晴れ間が続いていて、すでに連日30度を超えていた。だから今日は久しぶりに梅雨らしい日。朝から除湿機をガンガンに回して、さっき洗濯物も干し終えた。久しぶりに父から連絡があった。数日前に誕生日のメッセージを送っていたのに返信がなかったから、何かあったのかなとは思っていた。昨日母と用があって少し連絡を取ったときに母も声のトーンが暗くて、少し違和感を覚えた。電話の内容は、またかと思うようなことだった。またここ数日別居状態らしい。一気に実家にいたときの重くて暗い空気が自分の肩に乗っかってきた気分だ。おそらく自分にとって一番重くて苦しいのは家族のことだ。昔から荒々しい喧嘩を繰り広げる両親を見ては、なんで離婚しないんだろうと思っていた。今もそう思うときがある。よく子供のために離婚しないという話があるけど、子供をだしに使わないでよってずっと思っていた。両親がいることが、それだけで子供の幸せになるとか大間違いだよ。去年実家にいたときに、定期的に父親の全存在が嫌で自分を消し去りたくなるときがあったのだけど、そのときに母が「お母さんだってお父さんのことが心底嫌になることあるよ。でもいざ離れるってなると、見捨てられないなと思うし。それに現実的に職場がここだから、離婚=仕事を辞めるってことになっちゃう。そうなると他で今から仕事を探すのもね…。今の仕事、好きだから」ということを言っていた。実家は家というよりも、両親と他の人たちの職場という色の方がずっと強くて、あまり家らしい家ではない。母は離婚してしまったら家も仕事も失うことになる。なんとなくその話を聞いてから、離婚すればいいのにと簡単に思えなくなってしまった。もし50代の女性がそれまでの経験を買われて、相応の新しい仕事に就くことが容易であったなら、何か変わっていたかもしれないと思う。今日は推しの8周年の記念の日なのに、こんな暗澹たる気持ちにならざるをえないことが悲しい。