2022/02/14 散漫

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気づいたら2月も半分が過ぎてしまったね。2月はなんだかしっちゃかめちゃかだ。バイト、提出物とただでさえ普段よりも忙しい日々だったのに、こういうときにかぎってあらゆることが重なるみたいだ。わたしは多分どの人間関係よりも家族のことで悩んできた、と思う。家族に対する矛盾かつ錯綜した感情で自分自身がやられてしまう。何もないのに突然泣けてきて、ほんとうはどこかに打ち明けてしまいたいのに、あまりにも内容が重過ぎて誰にも背負わせられないと思ってしまう。自分のことでいっぱいいっぱいなのに、基本的にあまり感情が面に出ないタイプだからきっと誰にも気づかれてはいない。察しろなんて思わないはずなのに、こんなときにかぎって何人もの人がわたしに愚痴を吐いたり相談してきたりして、わたしはそれどころじゃないんだよと思ったり、離れようと思えば離れられる関係の悩みでいいねと妬んだり、そしてこんな汚いことを思ってしまう自分に何よりも嫌悪感を抱いて最低な人間だなと思ったりしていた。自分だって誰かの余裕がないときに、そうとは知らずにどうだっていいことを愚痴っているかもしれないのに。自分だって軽い感じで相談してしまえばいいのに、どう考えたって軽く流せる話じゃなくて、容易に相手の困った顔が目に浮かぶ。余計に誰にも話せなくなる。それにこの自分のドロドロした感情をどんな言葉で表現したらいいのかもわからない。言葉にしてしまった瞬間に感情から重さが消えてしまって、実際に感じていることとは乖離してしまう気がする。実態と言葉が重ならない。どうしたらいいんだろうか。

 

進路のことも考えていた。他にも理由はあれど、家族の現状を考えるとこのまま後期課程への進学は考えられないなと思う。家族からもっと距離を置くために自分で自分の生活はどうにかしなければと思う。と、思いつつ、やりたいと思わないことを続けられる自信もない。なんとか生き延びるために賃労働をして、生活を成り立たせて、それでわたしはどうするんだろう。そこまでする価値が自分にあるのだろうか。どんなにたのしくて幸福な瞬間があっても、ベースには生まれたくなんかなかったという気持ちがある。死にたいわけではないけど、そもそも存在したくなかった。とはいえ、今更生きるにしても死ぬにしてもお金が莫大にかかるこの世界はクソ。とりあえずたのしい予定を立てること。がんばりたいことをがんばること。最愛の犬と猫と同じ時間を共有すること。そのためだけにもう少しは生きてみようと思ってる。けど、1年後どうしてるんだろう。何かをやってるイメージがちっともできない。

 

イメージはちっともできないが、しばらく生きるためには兎にも角にも金がいる。やる気はさらさらなかったが、就活サイトをここ数日眺めている。気が滅入ってきた。どういう仕事であれ、たいていは誰かしらのためになっているのだろうけど、どうしてこんな謳い文句でしかアピールできないんだろうか。言葉の端々に滲む態度にがっくりしている。特定の誰かのためになろうとも、それが別の誰かの、何かの犠牲の上で成り立つならば偽善だ。偽善だとわかっていながらやりたいとは思えないし、その犠牲を絶対に仕方がないといって片付けたくない。

 

実は家族がこんな最悪な状態になってから視野に入れ始めた職業がある。その職業が自分みたいな性格の人間にできるのかもわからないし、資格を取れるのかもわからない。それに何よりも給料が低すぎる。お金のために選ぶわけではないけど、自分の生活がままならない状態で務まる仕事ではないだろうというのは門外漢でもわかる。自分が今回みたいな立場になってわかったこと。田舎であればあるほど医療へも福祉へもアクセスし難いということ。当事者だけでなく、その人をケアする人も含めて支援する体制がかなり弱いということ。そしてこういうことで悩んでいるのはおそらく自分たちだけでないだろうということ。これってかなりまずいことなんじゃないかと思った。現在進行形でしんどい状況に置かれているけど、自分たちが利用できるものには何があるのか、現状何がどこまで支援として可能なのか、どういうパイプと繋がるべきなのか。これは自分たちのためにも、誰かのためにも知るべきことなんじゃないかと思っていた。ただ、ここから全然違う分野に飛び込むことへも、自活できる保障がない未来にも恐れを感じてあまり動けていない。一人暮らしがまともに営める程度には給料をもらえないと困るよ。なんでこの国はケアにかかわる仕事の地位がこんなにも低いままなんだろうか。