2021/6/29

f:id:theworldofsilence:20210629083501j:plain

今日は朝からよくない目覚め方をしてしまって、本当はもう少し眠っている予定だったのに眠れなくなってしまった。相変わらず父のことで悩み、自分の中にずっしりと確かな重みを持った重荷として機能してしまっている。今日の夢は昨日の父の話もあってか、父と暮らしていたときのことが悪化した状態として映し出されていた。おかげで瞼を開けた瞬間から汗びっしょりかつ心臓もバクバクだった。朝から疲れることほど嫌なことはない。昨日はそれだけでなく、たまたま見つけたアメリカの博士後期過程に進学した人のブログを読んでいて、やっぱり自分には進学が向かないかなとか、そのあと本当にやっていけるかなとか色々と考えてしまったのもある。なかなか1日のはじまりとおわりにいい気持ちを維持できていなくてしんどいなぁ。一日中こんなに鬱々しているわけではないんだけど、ね。

 

昨日はもうひとつ悪い知らせがあった。実家で飼っている猫のうち1匹が吐血したと母から連絡がきた。まだ高齢ではないけど若いとも言えない年齢。いつ何が起きてもおかしくないということは頭では理解できていても、今は会えない分余計に心配が募る。電話の後、動物病院に行って診てもらった結果、どうも除草剤のかかった草を口にしてしまったんじゃないかということで点滴と注射をしてもらって帰宅したみたい。内臓の病ということも可能性がないわけではないけど、ひとまずこれで数日間様子見ということになった。もちろん心配がなくなったわけではないんだけど、帰宅したときに母とFaceTimeをして猫の姿を映してもらったら、食欲が回復したらしくごはんを食べていたからほんの少し胸を撫で下ろすことができた。

 

昨日は本当に多くのことがあって、なかなか自分のことだけに集中することができなかったのだけど、なんとなくいろいろと考えた1日でもあった(一応毎日考えてはいるんだけどね)。大人になれば選択肢が増えるということも行ける世界が広がるというのも本当だとは思う反面、何かを選べば同時に選ばなかった多くのことを手の内から振るい捨てることになるのかもしれないとも思う。そこにどう自分の中で折り合いをつけるのか、妥協するのかということ。もちろん事柄によっては選ばなかったのに捨てずにすんだということもあるかもしれないけど、それは結果論だし、始める前にはわからない。それになにより自分はまったく器用な人間ではないから、多くのことを選び続けることが難しい。逃げたいと思う現実がある一方で、その現実の中には一部どうしても手を離したくない存在がいる。それに折り合いをつけることが私には途方もなくむずかしくて何も決められない。毎日毎日、悩みながらもがきながらしか生きることができないな。

 

京都はどんどん湿気が充満するようになって、心身ともに疲れやすくなっていると実感している。なるべく自分を労りながら、来月は少しでも穏やかに過ごせる日が多くなるといい。